土曜日の夜
今夜の献立はドライカレーで、ブロッコリーの芯をミラクルサイの目切りにしている最中 指を派手に切ってしまった。
料理はまだ序の口だし 血を混ぜ込むわけにもいかないので、完全に止血をするのに時間をとった。
そうしてサイの目になったブロッコリーの芯を入れたボウルをカウンターに置いた時 指が引っかかって流しにぶちまけてしまった。。
なんだかいつもと違う流れを感じていたら、休日の日没後にピンポンが鳴った。
日没にセールスも普通は来ないしなんだろ?と、モニターを見たら人影が映ってない。
「ピンポンダッシュか?」と口にしたものの私は料理の手を止めなかった。
夫がドアを開けに行ったが戻ってこない。
そしたら夫が「小さい女の子が来てるからみて」と、私につなぐ。
玄関に行くと、小さな女の子(年長から低学年)が、壁にへばりついてしゃくり上げていた。
しゃくり上げているから話していることは全てを聞き取れないし、重ねて夫も聞き取れたことを話す。それらを組み合わせた状況が
「お母さんがいなくなった」
「車もない」ということだ。
我が家はここに越してから、子ども絡みの付き合いもなく、生活時間も違うので、あいさつ程度のつきあいしかないから親の顔はなんとなくわかるけど、子どもは全くわからない。
まずはその子の家を確認するため「おうちに行こう」と歩き始めた。頼ってきた割に手を繋ごうとするとふりほどく。
玄関は開いていて車もなかった。奥に人はいないのかの確認にピンポンを押してみたが、ひと気はなかった。
家に着くと「いつの間にかお母さんが居なくなって車もなくなった〜」と、より激しく泣き続ける。
ここからは推測だが、昼寝したかゲームに夢中かで、外出に置いていかれたのだろう。(たぶん父親はかやの外。)
すでに日没後。誰も居ない自分ちの しんと静まり返った恐怖、心細さに耐えられず玄関灯のついていたうちにピンポンした…ってことか?
私がいるからか、安堵の気持ちからか、
でも知らないおばさんだし、でも人間のいる安心感もあり、
号泣へとエスカレート。
私からしたら遅れ気味の料理と
「じゃあうちにおいで」と言うと、それは拒否。
そうなるといつ戻ってくるかもわからないこの家の家族をこの状態で待つ?!
「お母さんが帰ってくるまで待ってなね」とドアを閉めるとその子も出てきて玄関の外で泣きじゃくる。改めてさそってもうちに来るのは嫌だと拒否。
んじゃ外で泣いてる方がかえって危ないから家の中に居な、、
というやりとりを数回繰り返し、私は家に戻った。
夫の方が気にしていて私が料理を再開した頃に「車戻ってきたわ」と報告してくれた。
成人不在で子どもだけにしている…
ということに、私にとっては理解の余地がない。
眠っていたら起こして、うちは親子3人、運命共同体だった。
他の国のことをここに出しても仕方がないのだけど、アメリカは 小学生以下(12歳)の子供だけにしておくと逮捕される。それくらいのおとなの配慮は必要な存在だと 私も思っている。
イギリス貴族社会が考えるような『子どもは小さな大人』ではない。貴族の家柄なら執事やメイドの存在がサポートしているはずだ。
大人のような経験値もない、冷静さも俯瞰も判断も、やはり子どもは『小さな大人』ではない。
もう何十年か経ったろうか、新幹線で母兄妹で旅行中、下車駅で荷物の取り出しに手間取り、先にホームで待っていた妹を残して
母と兄が乗ったままの新幹線が発車してしまった。
大人なら待っていられるだろう。
まだケータイなどない時代だった。
十代半ばなら駅員に伝えるとかしただろう。
その妹は行ってしまった新幹線を追って線路をたどり、歩いているところを後続車両にはねられた。
目覚めたら気がついたらお母さんがいなかった、車もなかった。じゃあ帰ってくるまで待ってよう とは判断しなかったということだ。
母親の(置いて行っても大丈夫だろう)はすでに根拠のない正常性バイアスなのだ。
ちなみにやーくん28歳現在、やーくんをひとりにしての外出はゴミステーションへのゴミ捨てか、よくよく言い聞かせてからの10分程度の犬の野々宮神社までのピストン散歩だけだ。車の運転は、この28年間で数えるほどしかない。
たぶん10本の指以下だと思う。だって出先で自分に何かあったら取り返しがつかない。意識があればやーくんのことを伝えもできようが、一刻を争っている救命中の人物が留守宅のことまで動いてくれるとも思えないし、意識がなくなったとしたら…
あぁゾッとする。
想定しすぎかもしれない。
でもありえないことでもない。
日ごろ登山やらスキーやら遊びほうけている印象大かもしれませんが、ミソは押さえてきたつもりです。そしてこれからも。
近所のその子どもへのメッセージがあるとすれば、
年長もしくは低学年で、日没後という不安にかられる時間帯に おいていかれてこわかったよね。
もしかしたら昼間はすでに、親だけが出かけてしまう時間を経験していたのかもね。
けどね、見知らぬお宅にピンポン出来て
見知らぬおばさんを拒絶する元気はあるんだ。
むしろきみはその心細さ恐怖に打ち勝つ強さを身につけた方がいいかもしれないよ。
年長もしくは低学年で(大丈夫だろう)と、置いていける親のもとに生まれてしまったんだ。これから親もとを独立するまで数えられないくらい放っとかれるのかもしれないからね。
実は年末、私の家事の不行き届きで大げんかになった。やーくんの紙ふぶきの紙の粉が棚の上とか積もっていた。会社でも大変な時期でそんなストレスからか怒りに任せて罵詈雑言を浴びせられた。
心配そうにソワソワしていた夫に「私はあんなことした事ないからね。家事は行き届かないけど」と、クギを指しておいた。
あの母親、泣いてる我が子を見てどんな態度とったかな。「ごめんね!心細かったね〜」とともに泣いて抱きしめたか。。
それとも「何泣いてんのよ!」と一暼したか。。
たぶん後者だろうな。
そこに時間をくいながら 拒否され 、夕飯時が大幅に遅れた我が家。ペコペコのやーくんが先に食べ始め まだ途中の料理もあったので夫のも出して、しばらく作っていた。
ようやくお皿を出し終え席に着くと、夫は手をつけず待っていてくれた。
我が家の成果は、夫のそんな優しさが改めて見えたところかな(笑)