Mission eleven faces 四阿山登拝編
今年ご開帳の、長野市篠ノ井 長谷寺の御本尊十一面観音様は、真東を向いておられます。
そして春分・秋分の日の本堂に立つと、四阿山からの日の出~ダイヤモンド・アズマヤサン~と、なるのです。
【この真っ直ぐの参道の延長線上に四阿山山頂があります。残念ながらこの日は雲に隠れているのですが。。】
すごくない ⁈
マヤのケツァルコアトルではピラミッドに蛇の身体が現れるし
エジプトのアブ・シンベル神殿では最奥の神に光が届く
長谷寺がこの地に建立されたのも、
四阿山との関連がある
と、考えてもおかしくない!
今回Mission eleven facesとして
5月1日に長谷寺での居合い演舞、
5月3日に四阿山登拝。
わたくし『はいはーい』ヽ(^o^)と、参加したわけであります。
登拝ということで、
私も出来うる限りの気持ちを表そうと
いうことで、お遍路姿で参加しました。
先頭としんがりから、法螺貝の音が響き渡ります。
今回は頂上に立つことだけが目的ではありません。
限られた条件の中でご披露された居合い演舞。
長谷寺御住職より託された祈願文の 工藤代表による代読奉納。
現代において真っ先に省略されようとしている
目に見えないものへの畏怖の念。
それを、改めてこの足を使って登った先で
身体を使って
声を出して
法螺を立てて
気持ちを表す。
ああ、良い時間を過ごすことが出来ました。
下山した時にはみんな打ち解けて、
ここにまた繋がりができたこと、本当に嬉しく思いました。
解散後の帰りに、四阿山を御神体とする山家神社を参拝しました。
カシワデが響く
とても良い氣の流れている神社でした。
今回、お言葉に甘えてTさんに同乗させてもらい、松本からの1時間余りのドライブ中 ずーーっと喋り通しで、飽きることなく楽しく過ごせました。
良き場所との出会い
目に見えない神仏との出会い
皆さんとの出会いに感謝です!
Mission eleven faces 長谷寺ご開帳編
当初は四阿山登拝しか考えてなかったのが、
『長谷寺もいかがですか?』との内藤さんの 爽やかなもうひとプッシュに『はーい🙋♀️申し込みます』
それも
(居合いの演舞が見られる)くらいの気持ちでした。
初めての場所ということもあり、念には念を入れての確認をして、ノアのナビに入力して走行。
なのに…
ほら、やっぱおかしい。。
更埴インターを出たのに、ナビさんは また『高速道路に入れ』というのですよ⁈
更埴インター周辺をぐるぐる3周し、いったん解除して下道指定で ようやく到着しました。
場所的には、長野道の姥捨SA過ぎた トンネルが続く中のひとつが『長谷トンネル』で、お寺はその直上だったので、ナビが混乱したようです。
内藤さんのお誘いに乗っからなければ
通過するだけの、
知る事がなかった長谷寺。
ああ本当に来て良かったです!
とても歴史のあるお寺である事、
佇まい・建物・杉の並木道。どれをとってもわかります。
古墳まであった!
ご開帳ということで、とても華やかな装飾と回向柱。ため息しか出てきません。
荘厳重厚な本堂に上り
独特の香りと読経
御本尊の法要にも立ち会えて、
それも繋がれた三鈷を待たせていただいて大感激♡
回向柱より近く 御本尊さまと繋がる事ができたのですから。
居合い演舞の時には自然と背筋が伸び
ひとつひとつの動きに込められた意味も
思いつつのひと時でした。
私は演舞そのものもさることながら
『礼』と『間合い』にひかれました。
茶話会も楽しく初対面の方が多い中 話が尽きる事なく
工藤さんから まだ温かいおこわおむすびと柏餅
明後日の登拝の晴天を祈るてるてる坊主作り、
内藤さんからは無事の登拝に備えての漢方セットまでいただき
参拝記念に
お札や
演舞で切られた竹に梵字も書いていただき
特典だらけの一日でした。
法要の後、お住職から
『今日味わった体験を家族や大切なひとに伝えて共有しましょう』というお言葉がありました。
実は私自身が
『他人と共有する・分かち合う』
という事がどうも苦手で、
昨今の生き詰まり感の元は
目指してきた自己成長・自己完結
だったのでは…と薄々気づいてきたところでありました。
内藤さんのFacebook投稿をきっかけに興味を持ち、読み始めた論語の中にも孔子せんせいのお言葉として『人との関わり・分かち合い』の重要性が語られていたし、
その前に
Fさんの会話に繰り返し出てきて気になり 読了した『7つの習慣』のコビーさんだって、自己完成の先にある相互作用の大切さ、素晴らしさを解いていたし。
人との関わりに加えて、
宗教や歴史からも 改めて
残りの人生の方向性を示していただいて、
今日参加した意味を噛みしめています。
これからは人に誘われると(基本💦)断らない!(笑)
今回なんと!さっそく四阿山登拝時の送迎にお声かけてくださったので、お言葉に甘えて乗せてもらいます。
帰宅して、家族に今日のご開帳のこと、いっぱい話しました。夫も話を聞くのはまんざらでもなさそうで、丁寧に聞いてくれました。
いつか家族で長谷寺に行けたら良いな とも思っています。
昨今の朝ドラ
ここ数年、
朝ドラの人物の描き方に 心がざわつく。
『カムカムエブリバディ』では
アメリカンドリームみたいな
サクセスストーリーというでなく、
市井の人の、
それぞれに生きている人生もようで話が進んでいく。
単なる娯楽放送・時間を知るためのテレビのつもりではあるのに
否応なしに自分の人生を省みはじめたりして。。
私の人生も、
うまくいった事って あったっけ?
がっこうは行きたいところより行けるところに収まったし
採用試験も数回受けたり
結婚してからの働くのも、なかなかうまく回らなかった。
そのうち諦める、そのこと自体を忘れ去る、
ことの方が多くなった。
『それでも人生は続いていく』
それだよな〜
サクセスなくても生きていく
タイミング的に泣けてきた。
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短期間の撮影なので、人物の年齢に演者の年齢が伴ってないところは気になるんだけど(笑)
〜設定としては40代と70代くらいか…💦うーん〜
算太おじさん役の濱田岳は若いながらも演技力もあり、個性もあり、『アナザーストーリー』のナレーションもしている。
15年くらいになるかなぁ、『コードブルー・ドクターヘリ緊急救命』の、災害被害者役で見たのが初めてだった。
設定が、
長年好意を寄せていた女性とようやく交際を始めてウキウキしていたところ、
キューピッド役をしてくれた親友と、その交際女性が相思相愛になってることにうっすら気づきはじめている。けど懸命に否定して直視しないようにしている学生役。
三人で出かけた先で
階段の将棋倒し事故にあい
三人がスキー板?で串刺し状態となる設定。
濱田岳は臓器を貫通していて抜くと致死に至るが、アドレナリンが出ているので痛みもなくいちばん元気。あとの2人は一刻もはやく搬送したいが抜かないと動かせない。
どうする どうする?!
って回だった。
今回の算太役と同じく、お調子者タイプが適役のようだ。
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私の人生が終わるとき、
何が脳裏に浮かぶんだろうか。
落ちたことか。
頑張ったことか。
スキーの専門店に行ってみました
思い返すと数年前
30年ぶりに再開したスキーを、
買いに行った時は
スーパーの閉店前割引きを狙うような買い方をしたなあ。。
量販店の シーズン終わりの最終値下げで
売れ残っている中からみつくろったという。。
その当時は、
レンタルでは割高だから自分のを待とう
くらいの気持ちだった。
試着していた時に『ちょっと大きい気もするんですけど、大丈夫なもんですか?』と聞くと、
すかさず『それなら良いインソールがありますよ!』と、ブーツそのものを点検する風もなく五千円超えのインソールを勧められて購入した。
なので こういうフィット感なんだと思っていた。
やっているうちに、思いもよらなかった
スキー教室で教えるという方向に舵をとり
基礎スキーを練習してみると
指摘を受けたことや、やろうという意図がなかなか滑りに反映されず
(ワタシって飲み込み遅い子なんだ〜 ノロマナカメww)と思っていた。
だがそれと同時に
靴の中で足が泳いでいる気がしてならなくなってきた。
バックルをガチガチに締め、
ベルクロストラップもギュウギュウに締め
厚めの靴下を履き、時には2枚履き
本来のインソールの上に更にインソールを敷くなど
思いつく限りの対策を立ててきた。
(一度専門家に見てもらいたいなぁ。インナーをいじってもらって直るなら、それに越したことはないし)
ちょうど スキーに誘ってもらったMさんが行ったという『スキープロショップ』の予約をとった。
到着してすぐ、現状の感覚を伝えて
チューンナップサービスで、
修正効くものならこのブーツを使いたい と
希望は伝えた。
お店の人は持参したブーツのインナーを取り出した。
そしてインナーを履いて、と言った。
(自宅で再現)
するとつま先に指2本の余裕!
『これは〜、、サイズが大きすぎたね』
と ひと言。
サイズ感としては、
バックルもひとつ目を締めるくらいでいいのだという。
『量販店は【売っておしまい】なところがあるんだよね』なんて店員さんのつぶやきで、売る側のヤミ事情まで知ってしまったり。
でも当時は、目立つ外装・看板、テレビのCM流すような、そういうお店しか知らなかったしな〜 これはイタイ勉強代かぁ(苦笑)
足をメジャーで測って
『試しにこれくらいだよ』と
持ってきたブーツのインナーを履かせてもらったら全く違う!インナーから足に沿う と
表現したらいいだろうか。
もう
『うわー』『うわー』としか声が出なかった。
そのインナーをブーツに戻して履いた。
『立ってごらん』と、
立ってみるとまた!安定感が全く違った!
ガシッとホールドされているけどスッと立てる。
今までの靴は足底の位置が既に高く、
バックルやベルクロでガチガチに固定しているのにもかかわらず、
立ち上がると不安定ときた。
まるでギプス
スキーの時 繰り返し指摘を受けた『スネをブーツに当てる』も、ギューギューに締めたベルクロで後部に固定されているから前に倒れなかった。
対して店のブーツを履かしてもらったとき、
店員さんは、ベルクロはペチッとひっつけただけだった。なので稼働の余裕があり、いくらでもスネがブーツに当たる!
もう少し硬いタイプ、と持ってきてくれた二足目のブーツは Mさんとお揃いになるなあ(笑)と思いつつ
当たるところもなく履き心地は良い感触。
三足目を探しに行った時私もついて行って
『将来的に二級を受けたいと思ってるんです』と明かしたところ
『それなら硬さは上げた方がいい』と
持ってきたブーツはラングだった。
ラングといえば、アルベルト・トンバだ!
30年前、トンバに憧れ私もラングを履いていた。
足入れには硬くてとにかく苦労した覚えがあるが、滑走中には文句はなかった。
今でも値段は覚えていて、バブル時代だったのも、浮かれた勢いもあったし(笑)もうあんなクオリティで あんな値段の買い物は出来ないと思っていた。
今どきのブーツは広く口も開き、硬くても足入れはし易いように出来ていた。
加えて店員さんが『行く時は助手席の下に置いて温めておくの』と足入れのアドバイスをくれ、実際に温めてくれたものを再び履いたら 当たるところもなくスッと入った。
これは出会ったのだわ。
こういう時の頭の回転はすごい(笑)
40%引きだもの、この価格帯なら私の一存で買えるわ。。
そうだ!
年末の家族での会食時の、ねぎらいの金一封、まだそのままだ。それ使おう
ということで
翌日
寒波と大雪の中
雪道の恐怖よりワクワクの方が勝り
スキー場へGO
(帰りの奈川渡ダム 荒ぶる冬将軍)
うわー別人の滑り!
足裏感覚が、雪面の状態が伝わってくるわー
スネも当たる!
心もちエッジが雪面を捉えてる感触もあるー
良いねえ良いねえ
リフトで眺めていると、
私より年上のスキーヤーがいる。
彼らはキャリアは長いから板は揃っているしスピードも速い。だけど上半身が伴ってなかったり、突っ立ったまま(内向傾)といった自己流スタイル。
私の滑りもあんな感じなんだろうな(笑)
私も趣味の範囲で滑るのなら、あの靴のままでも滑っていた。
人に教えるとか
基礎スキーの二級を目指すとか、
一段厳しい方向を見据えた時に見えてきた世界。
そんな時に、道具を再点検する気持ちになったことは 必然だったんだと思う。道具に頼り過ぎるのもどうかと思って30年ぶりに買おうとした時は、安くあげようとしたのだ。
けれど、これだけの使用前使用後の 違いがわかるオンナになったのだもの、やっぱり必然だったのだわ。手つかずのお金も思い出したし(笑)
そして、滑りの楽しさは格段に上がった♬
以前は食事や休憩で中断したらもう飽きてきたけど、試したいスタンス・気になる点がいくらでも出てきて集中力が落ちない。
スキーってシンプルな動作だから
奥深い。
無駄を削ぎ落とした美しさを目指したい。
貴方の存在は、誰かの元気になっている
午後、
ビレッジ安曇野で入浴し、
ベイシアで買い物していた時の出来事です。
主婦の秘技、
回転の良さそうなレジ列を見極め
ささっと移動しての6番レジは、
ふかよかで小柄なオバさんでした。
やーくんと夫は、
袋詰めテーブルの方にまわって
私を待っていました。
夫は出先では、
始終手をつないでいるし、
やーくんは、
始終「フンフン」とか「オウオウ」とか声が出ていて、
そのレジのおばさんが明らかに、
やーくんの存在を気にしているのが伝わってきました。
すると手を動かしながら
「待ってるのは退屈だよねぇ」とやーくんの気持ちを代弁するように
私に話しかけてきました。
苦情的な意味合いは感じなかったので苦笑していると、
と打ち明けてくれました。
絶えず声を出していたりするので、中には奇異な目で 舐めるように見られることもあります。
特に小学生中学年くらいの女子は、自分の価値観に迷いがないようであからさまな態度には容赦なく、私が街中で教育する筋合いもないしで 苦手。。
ま、オトナも顔に出さないだけで、
嫌悪している人もいるでしょう。
だけど気にせず街に出ています。
この世界を構成している存在だから。
そんな姿が、誰かを励ましたり勇気になっているかもしれません。
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レジの人、
『ふくよかなオバさん』と思っていたが、
子どもが養護学校生なら私より若いってことか…失礼しました!
春のお楽しみ 山菜採りと、山菜料理
いよいよ春の山菜が始まったということで、
ワークショップ開催について、
ズッキーがすえっちと打ち合わせを兼ねて
山菜採りに出かけました。
時期と、狙いの山菜を決めて出発!
天気も良く、とても気持ちの良い
山菜探し歩きでした。
帰宅して、さっそく仕分けと名前確認です。
洗うのが大変かも
少人数家族なので、取るのも少なめにしたのが良かったです。
洗い終えました。
ツクシの佃煮と、ヨモギ餅が やーくんのお気に入りになったようです。
光城山って、こんなに遠かったっけ?
登山を始めてもう何回、光城山に登ったことだろう。
11月に膝がコキッと鳴ってから、久しく寄りついてなかった。
それが、
熟年家族のウォーキングでずいぶんと歩けるようになったやーくん。
やーくんと光城山に登ってみよう と、思い立ったのだ。
登り始めて、
よちよちのやーくんの後を歩きながら
頭の中はぐるぐる考えていた。
(この写真は降りの後ろ姿)
(登ることに何の意味があるの?)と、やーくんは思ってるのではないのかなぁ
それってやーくんが飽きもせずやっている 紙をちぎる、紙の山を作ることに私が意味づけしにくいことと、どう違うのだろう
山の景色が良いとか →(景色見てないし)
健康に良いとか →(今の自分の状態に関して健康不健康の概念で見てない気がする)
そんなこと思ってないよなあ
そういえば
じゃあ私はなんで山に登ろうとしてるんだろう
ほめられたいとか
認めてもらいたいとか
あったんじゃないかな。すぐさまSNSに上げてたし
ところがそんな承認欲求を揺るがす事態になったわけだ。
無病息災(無傷息災)だったのが、ヒザをきっかけに『今までと違う』感覚をうっすら感じていたこともくっきりしてきた
集中力が途切れるとか
以前になにも感じず行けたところに怖さで足がすくむとか
も一度原点に戻るってどうだ? 人の反応じゃなく
夢中になった自分
ワクワクしたあの気持ちを大事にすれば、誰の目に触れない登山でも良いじゃないのか
それと『生老病死』を『苦』と思うのでなく、つきあっていけば苦でなくなると思う。
色即是空 空即是色
行けるとこまでとか、時間をかけてとか、変化に合わせるのを楽しめばいい
って。
そこまで思ったら、スーッと
何か取り憑かれたみたいな憑き物が消えていった。
この日も、中間地点で引き返した。
ちょうど気圧配置が変化したところで、春並みの暖かかった空気が 山の斜面の向きによっては耳や手など出ている部分が、痛みを感じるほどの冷たい風に 変わりはじめていた。
やーくんが楽しく…というか 機嫌良く登っている、
そのところを大事に考えたら、
苦行のような耐寒に意味はない。
いつ頂上に辿り着けるかなって楽しみが出来た。
いろんな条件揃えるのも楽しめばいい。
いやぁそれにしても、光城山ってこんなに遠かったんだ(笑)
よく頑張ってたな、ジブン。
あれはあれで楽しかったな、ジブン。