エガクのブログ

絵を描く事と、山に登る事と、作業所に通うハンディのある長男と、夫と、東京に居る二男と…

東京ウォッチング

自分の人生を振り返ると、ゼロからスタートしたことが数回かある。

世界街歩きの番組でスペインだったか、
旅人にみたてたカメラが街角にいる中高年の女性に話しかけ、彼女が
「ここに生まれていつの間にかこんな年(60台後半)になっていたよ」と高笑いしていのを 衝撃を受けて見ていた記憶がある。

いつの間にか年を取る...
なんて理想の年の取り方!

新天地で馴染めない感。
流れる時間の息苦しさ。
年月を重ねれば解消されるかな...と日々過ごす不安定感。



それが東京都民の時はあの疎外感がなかった!

車もそんなに使わず電車移動が多かったけど、やーくんを連れていて嫌な体験をした覚えもない。

一年ほど通勤ラッシュの時間にやーくんと幼稚園児のジョンくん連れてかよった。
サラリーマンが「もっと奥に入った方が良いですよ」とささやいてくれたり
列にならんで確保した座席をやーくんに譲ってくれたことは 恐縮したが
今も私のなかで『受け入れられていた』という良い思い出だ。

ところが車社会の地方では『多様性』に触れない分『違和感の対象』になってしまっているみたいだ。
嫌な目線(年少者の)は茶飯事である。
保護者の気づいていない子供の闇の眼差し。

今回の東京は、駅周辺にいたから特にウォッチングは興味深かった。

数パターンで『米津玄師』がいた(笑)
髪形は女子で言うグラデーションボブ、
ロングコートのアウター、
タイトで足くびが見える短めパンツ。
体は細身。
そういや、そのモードの体型の違うひと(例えば肥満体型など)は、いなかったなあ。
モードは生き方だ。体型までモードの要素として取り込んでいるってことでしょうかね。

大きな流れに合わせて歩いていてパッと方向転換。なおかつ手にはスマホで文字入力中。
で、誰にもぶつからない。
それはすごい能力だと思いますよ(笑)

都会の人との距離感が嫌、という地方出身者がいる。
むしろ触れ合う分、お互い生きてる人間って感じを確認出来て(あ、自分実存してるわ…と、自分も含めての確認)、
私はイヤじゃない。
今長野在住だが、親しくしてても触ったりしないもの。

上から 電車の通過する繰り返しの音と揺れを感じたり。

街を歩いていると 元を特定できないにおいが漂ってきたり。

前にも背後にも上下左右にも意識集中して 意識拡散させて。

五感を全部使う感じ。

息子と街や駅ナカを歩いた時、並んでは対向者に迷惑かと息子の後ろを歩いた。
そしたら息子のジョンくん、ひっきりなしに後ろを見て私の存在を確認していた。多分無意識。
そんな無意識の、相手を気遣う必要が 都会の雑踏には要求される。
イヤじゃない。

スタバは居住地にもあるが車で乗りつけるからくたびれて入るわけじゃないので、 一人でケーキ食べようとか思わないし、
ジョンくんと食べた 久しぶりのチーズケーキ、ポツリポツリと話しながら味わった。f:id:ridgeww:20190304131605j:plain


やっぱりイヤじゃなかった(笑)