エガクのブログ

絵を描く事と、山に登る事と、作業所に通うハンディのある長男と、夫と、東京に居る二男と…

『スカーレット』が終わった

この 

世の中の流れが変わったこの時期に、

連続テレビ小説『スカーレット』が終了した。

 

ひとりの女性の半生を描いていたのだが、

生まれ落ちた家族の中で懸命に生きて、

役割を果たそうとしていて、

両の親を見送って、

その中で自分のしたいことを可能なかたちで追及して、

そうやっているうちに一人になって孤独も引き受けて、

そして生きていく。。

生き方の変わり目の描き方がとても丁寧だった。

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たった15分のドラマなのに、言葉もなく動きもなく、間だけで語らせる、、そういう場面が印象にあり、そんなテレビドラマの描き方って新鮮だった。

 

(親に,自分のしたいこと希望を こんな風に伝えるんだ)

私は 親にすごまれたら、引いていたなあ。。

(ああ、好きな人と こんな話の組み立て方をするんだ)

八郎の話し方、受け答え方がいわゆるタイプで、キュンキュンしていた(笑)

登り窯を一回するだけでも経費がかかり、

それも失敗して改善点を見つけられて

もう一回登り窯をやりたくて 今は止めておこうという夫の意見と食い違ったところを無理を言ってやって また失敗、

息子のための貯金を解約してやりたいと言ってきたときなどは 私もちょっと狂気を感じてドキドキした。

実は私も描画で何とか仕事にできないか模索して、社会に打って出るにも先立つものはいるし、山の絵を描くにも山に行くお金はいるし、夫は山登り自体しないこともあり「山…」と話を持ち出すだけで、険悪な雰囲気を出してくるときもあった。

 

『スカーレット』では、その熱情に夫の八郎がついていけなくなって出て行き

別居後の何度目かの登り窯で、思う色が出たことで 主人公は女陶芸家と脚光を浴び、

その作品を手にした夫八郎が「きみこ、すごいな」と涙をこぼした場面など、

同じ陶芸家を目指していた者としては、一から教えた女に追い抜かれ、

自分を貫き 自分の境地を開拓した作品を作り上げた姿を見て、夫は陶芸からも離れ、、

もうこの二人は、夫婦としてはやっていけないんだ…というところも痛いほどわかった。

 

別居中、友人に肩を揺さぶられながら「目え覚まし! 頭下げて戻ってきてもらい!」と説得されていた時の返事。

「あのな、私がしたいことあるとき、お父ちゃんが居る時はお父ちゃんに許しをもらった。

結婚してからは八郎さんに許しをもらってやってた。

今は自由や。誰に許しをもらわなくても出来る」そう語る瞳はキラキラしていて、庭中に薪が山積みになっていた。

あ~~わかる!その自由、、私も脳裏をかすめた時ありました、実は。

けど、私は熟考した挙げ句、その修羅を手間をいとわない…と、引き受けた。夫を巻き込む覚悟をした。どんな反応が返ってこようとも伝える手間をいとわないと、心に誓った。

 

そのころだったんじゃないかな、ある日 うちに一本の電話がかかってきた。

それは何度かグループ展に参加をしていた時、出品した作品が気に入ったからと購入してくれた紳士からの電話だった。

「今はどうしていますか」

「松本に住むようになって登山を始めまして、その時の印象を作品に描いたりしています」

 

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ああ、そう……と、ため息のような声がきこえた。

 

この紳士は樹木や自然が好きで、購入してくれた作品もモミの大木を描いたものだった。

「でも最近は作品展もしてなくて、部屋でほこりをかぶっています」と苦笑して言うと、

 

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「それはいけない。それは作品に失礼だよ。

応援しているから。発表した時には知らせてください。こんな八十を過ぎたお爺さんでも応援していますから」

そんな会話をして電話を切ったのだが、むねが ざわざわが止まらず帰宅した夫にこんな電話がきた、と話しているうちに胸がいっぱいになって泣けてきた。

家庭人としての私には相性も感じて期待しているものの、きっと夫にとって妻は、絵を描いていなくとも山に登らなくても よかったのだろう。その本心が絵や山の話になるとつっけんどんになっていたのだろう。気の強い私が声を詰まらせ涙ぐんだことにビックリしていた。でも、夫がそのころから変わってきた。私の本気に気持ちが動いたのかな。と思おう。なのでうちは破局せずに 今は応援してくれている空気を感じて絵に取り組んでいる。その点は喜美子八郎と違ったところかな。

 

作品展をするのを躊躇していたのは、人脈を広げられなくて、観客動員の自信がないことがあった。 違うんだ! 作品は完成したら描いた人間の手を離れる。作品が、作品に魅かれる人とつながればいいんだ。そう思って動きかけていたところだった。新型コロナで、再び止まっているのだが。

 

妹も嫁ぎ、息子も進学で家を出て、ジャカジャカしていた暮らしが変わった。

 

広い家にひとりの生活となったあたりからの描写が本当に丁寧だった。

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息子の闘病という描き方になるとは思わなかった。

 

その場面を見るたび今東京で生活しているジョンくんの事が思い出されてならなかった。

 

 

息子のたけしが旅立ったあと 縁側で元夫の八郎に、

「わたしなあ、、

たけしに『お母ちゃんが生かしてやる』って

言うてしもうた。。

また私、やり過ぎたわ。

いかんなあ。。」と、

自分のいき過ぎを悔やんでいた。

 

わたしたち夫婦は 親として出来ることをしたつもりではいたけど、ジョンくんはどう感じていたのだろうと、私もうっすら逡巡していたところだった。そこも大事だったんじゃないのか。。と。

子どもは授かり物などというが、私は 天からの預かり物だと思っている。手から放れていくものだ。そこに今も揺るぎはないが、彼に 長い渡りに耐えられるだけの人生の翼を身につけさせてあげられたのだろうか。。と。

 

 

 

今朝、何回目かトライの電話で ジョンくんの声を聞けた。

「なに〜どしたの?」

から始まり、

 

「また電話するからねー」

「うん」

「要る物あったら言いなよお」

「うん」

 

それで良しとしよう。

 

まあほんとうに、

いろんな事を 考えさせられたドラマでした。