エガクのブログ

絵を描く事と、山に登る事と、作業所に通うハンディのある長男と、夫と、東京に居る二男と…

思い立ち野麦峠へ

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梅雨入り前の松本市は、

猛暑日一歩手前の暑さです。

 

今週 山に行くとしたら今日しかないけど

暑さと、いきなりの急登のルートが頭に入っているのもあり、

光城山へ行く気持ちに 向いていかない。。💧

ここのところは 身体からの、内面からの声に耳を傾けるようにしています。

でもやっぱりカラダを動かしておきたい。。

 

お!

野麦峠があるじゃないですか!

50km先とはいえ松本市ですもん。(笑)

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(奈川の標識。 数字が2桁って、市街地ではあまりないのでパシャリ)

 

 

スノーシューツアーで行ったから距離感もあるし。

やーくんの支援を取ってないので、

4時のお迎えに間に合うには 2時に発車させれば不測の事態にも対応できるし大丈夫だろう。

早く帰着したらしたで、買い物とかやることはいっぱい💦あるし(笑)

 

今日は西から天気が崩れるから、午前中…いや、松本なら日中はお天気も大丈夫だろう。

 

予測的中!

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(帰宅して やーくんのお迎えの頃には、朝見えていた乗鞍岳も西からの雲で見えなくなっていました。風も強くて田んぼの水鏡も波立ち映りません)

 

道の駅の『風穴の里』で、軽食を購入

やっぱりちょっと浮かれてますね(笑)

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奈川地区に入ると路肩のあちこちに車が停まっています。山菜採りでしょうか。

気候的にはひと月くらい違うのでしょうか、ハリエンジュがまだ勢いよく咲いています。

甘い香りをまた嗅ぐことが出来ました。

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オダマキも葉っぱが出たてでした。

ハルゼミの大合唱です。

毛虫のカーテンは…

全くぶら下がってません!やったー!(笑)

奈川の樹種には 毛虫は出なさそうな気がする。

 

峠道は、

道の斜度も快適で、息も上がらず

スタスタ行進リズムで登れました。

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よく手入れされている道です。

地元の人たちが 慈しみ、大切に守っているのがよくわかります。

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(仏さまにもお花がたむけられています)

 

 

ブッシュクラフト作法、野麦峠のベースラインにお邪魔するべく、

カシワデ?拍手?鳴らしながら歩きました。

一度キジのような茶色い鳥が 慌てふためいて飛び上がりました。

びっくりさせてゴメーン!

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(ブナの自然林(左)と、杉の人工林(右)のクッキリさかい目)

 

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(栃の花 これはまだ若い樹ですね。巨木になりますから。)

 

 

野麦峠頂上では、青さを増した乗鞍岳が見えます。雪とのコントラストが素晴らしかったです。

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登りは40分、

下りは15分でした。

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今 気になっているのは、岐阜側の峠道です。

どう行けば良いかな。。?

路線バスなどは当然なさそうなので、

頂上か

岐阜の野麦集落に車を置かせてもらって往復。

ってところでしょうね。

看板では、下りで2時間とあります。

ということは登るのは3〜4時間みとけば行けるかな?

ということは6〜7時間。

朝早くスタートの、午後終了か。

やーくんがショートステイの時なら朝早く出られるので、その時に行ってみますか!

 

 

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(炭焼き窯跡)

 

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(趣のあるバス停)

他にもお地蔵さまや、立派な木造の祠など道路沿いにもあり、『奈川のまち歩きツアー』なんてあったら良いなぁ

 

 

帰りの運転中、対向車がパッシングしてきてドキッと思わずブレーキを踏んだところ、すぐ先に速度違反を見ていました。

見ず知らずの方から『気をつけて』ってメッセージをもらえたのが(違反しなかったのもセーフだったけど)コミュニケーション取れてうれしかったです。

私も誰かに優しくしよう!と思えました。

pay forward   ですね。

まだ自粛の後引きで、ナマのコミュニケーションに飢えてますので、こんな事が嬉しく感じました。

 

これも今日の行き先を、

奈川を選んだから

なような気がします。

 

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帰りの運転中、窓を開けっぱなしていたら トンネルの中など何だか冷んやりで、むしろ寒いくらいです。

 

クルマの温度計に目をやると19°C!

家の近くになるとすぐさま30°Cに上がっていたので、夢のような気温でしたね!

 

この夏、

暑さが辛いと感じたら、

奈川の冷涼な気候の 山歩きしに行こうと思います。

山菜取りのソロデビュー

予報は良いお天気。

昨夜のFacebookのチャットでマナビーと三つ葉談義をしていたら、

三つ葉の卵とじが食べたくなってきました。

 

流通している三つ葉はご存知の通りスポンジにくっついた水耕栽培です。

それもスポンジ2個分。

風味も弱くて塩味や卵に負けてしまいます。

 

思いっきり三つ葉を食べたい!

これは取りに行くってもんですか!

 

やーくんを送っといてその足で山へ向かいます。

牛伏寺までは順調だったのですが、右折のタイミングが分からず二回間違え私有地に入りかけました。

もうその時点でハラハラ、帰りたくなってきました。

 

『山がこわい』気持ちってこれだったんだと思うのです。

ブッシュクラフト講座で言語化出来た『ベースライン』

その場所.土地の構成員になっていない、はじかれた疎外感。その不安な感情がわたしの『山がこわい』でした。

 

怒られないうちにUターンして(こういう平常心でない時事故りやすく、ことを起こすと再生不可能になります。気をつけて)

わかるところまで戻る。これは登山の時と同じですね。

もうちょっと先だったっけ?後をついて運転している注意力ってこの程度なんだわ。

ガイドツアーとソロ登山と、楽しさは変わらないけど、土地勘記憶の残り方は全く違います。これも通じるところです。

 

その先に、見覚えのあるクキッとしたカーブがありました。これでした!

これでもう忘れませんね(笑)

 

ゲートを開けて結界を突破します。

 

この林道は二車線分の広さがあり、とても運転しやすいです。

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ズッキーと最初に山菜を取ったところで三つ葉探し。

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あんころ餅も美味しかったのでヨモギも。

以上!

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(標高が高いからか、咲きはじめのハリエンジュもゲット!よく見たら、毛虫も数匹お持ち帰り💦してました(笑))

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しかしながら2回目のあんころ餅は、固いしヨモギの処理もペーストまで出来ず葉っぱ感があり、なんだかやたらに青くさい。アンコも滑らかでなく失敗作。。トホホ

またリベンジで作ります‼︎ 取りに行かなくちゃ。

 

 

『知らない野草は取らない』

知っている人と行くと、「これそうかな〜」で、yes かno か の答えを出してくれるわけです。

その繰り返しで覚えていく…ということもありますが、先に言った緊張感=摘み取る時点で食べるところまでイメージする、覚悟する。そこのところは捨ててしまう気がします。

店舗でパックの野草を買ってきた人は(それが毒かも)とは疑わない。それに通じる感覚だと思います。

 

なのでその二種類で終了しました。

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まだ早い時間だったので、『宮入山』へ行って見ることにしました。

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地図的にいうと、宮入山、高遠山、前鉢伏山鉢伏山という位置関係になります。

一般の登山者が行かなさそうな山なので、深入りしない程度に。

 

二輪車のダート会場になっているみたいです。

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結構な斜面を登りきると、稜線のような道になりました。

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三角点でもあればと見回しましたが見つけられず、樹木に遮られて周りの展望もないので、

稜線上の一番高いところで引き返しました。

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それでも余裕があったので、牛伏寺参拝して帰宅しました。

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良いところをいっぱい見つけてとても良いお出かけでした。

ファミリーウォーキングの下見にもなった一日でした。

 

 

 

 

 

 

山菜取りで、社会の立ち位置を再考する の日

登山を始める前にガーデニングをしていたこともあって、

店先で売っている姿しか見たことのない植物、花を

実生の姿で目にしたときは、感動ものだった。

 

だからと言って、山菜(=採ってきて食べる)には興味がいかなかった。

長野に嫁いで間もなくの二十代の頃、山あいの蕎麦屋に連れて行ってもらいきのこそばを注文した。きのこの水煮をイメージしていた私には、濃過ぎて食べることが出来なかった。その経験が後を引いているのかもしれない。

 

売られている野菜は、昔のような

『野菜の味がしなくなった』ともいうが、

品種改良で食べやすくもなっている。

えぐみや苦みがなくなって

皮や筋が柔らかくなって

下処理不要で 調理にかかれる。

 

そのことはすなわち食材を『意識しなくなった』ということだ。

 

『生活に意識を向けないでよくなった分 あらゆるモノコトを 外に広げられた』

のが、『現代社会』なんだろう。

家事に一日かかっていたなんて、今生きている人間は実生活で知らない。

『専業主婦?退屈じゃないのかしら。』

家事ってその程度。

 

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このタイミングで

わたしに山菜取りの機会があったのは、何かの啓示なのかもしれない。

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世界に吹き荒れたコロナ禍。

 

私もご多分に漏れず三月四月五月の予定はほぼ消えて 真っ白になっていた。

それでも辛うじて 非三密などの条件が整っていたブッシュクラフト講座は受講でき、

同じ受講生だった鈴木さん(以下ズッキー)に、スケジュール真っ白をぼやいていたこともあって、山菜取りにご同行させてもらえたようだ。

当初はお楽しみ程度の気持ちで、

ひさびさ(要るかな?)と、登山靴を持ち出してきたところで気持ちはるんるんと、上がってきた。

 

最初にかかわる人物の存在って大事なんだと思う。

 

初登山も、あのガイドさんだったからハマったのだ。

数年後、どうしても行きたい場所があって 違う人物にガイディングを依頼したことがあった。

おそらく知識も経験も豊かで、職業ガイドとしては優秀な人だが、本人はその山行・景色を楽しんでいる。対して私にかける言葉は険があり 出来ないことを 頭ごなしに 怒りごえで言う事にも抵抗がない。。そんな様子で、気持ちは萎縮してくるし、せっかく実現させた山行がどんどん面白くなくなってきた。

面白い所に行ったのではなく、人が面白くしてくれたんだとの気づき。

 

話が脱線してしまった。。

 

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ズッキーは最初に「初めてですか?」と聞いてきた。

そしてそのあと言われること とても丁寧に説明してくれて、それはことごとく聞いておかないといけない内容だった。

 

知っている植物だけを取る

葉は一枚づつ取る

先客が取った跡のある植物は、もう取らない

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先人の暗黙の常識でも、初めての人間には 知らなければやらかしてしまう行動のように思う。

実際群生していれば、畑でやっているようにガサっと束ねてとってしまいそうだ。

 

 

本来、食べることは命がけの行為なのだ。

今三度三度の食事を命がけで食べている現代人って、いるのだろうか。

(箸でつまんでいるこのお浸しの中に、毒草が混じってて、のたうちまわって苦しむかもしれないなあ)

って、口に運んでる?

 

取って食べられる植物のすぐ隣に、人間にとっては毒のある植物がある。

取れる草種を知る→

取れない草種を知る→

毒を知る→

隣り合わせに存在する死→

ともなう緊張感→

あたしはいいの、山菜なんか食べないんだもの的思考(インフラの中で守られている事による無意識の行為)→

関係性の有無による切り捨て→

『知らないことは罪』なのではないか。。

 

食べられる部分を見つけた

その株の周りを観察する

今シーズン摘み取った跡がある

その株は取ってはいけない

そのあと弱って死んでしまうから→

あとのことを考える→

自然が続くように恩恵をいただく→

地球の存在を感じる 

地球を大事に思う

 

わたしの頭の中で、そんな壮大な地球規模の思考が展開されているかたわらで、

ズッキーの佇まいはあくまでも自然体。

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要は知ることとルールを守れば良いということなんだよね。

 

そんな気づきのわたしでも、身体は森の何かに反応して鼻水グシュグシュ、くしゃみ連発、その後二日ほど三半規管の様子がおかしかった。いかにインフラに守られていたかを痛感する。

 

籠に森の恵みをいただき、ありがたく人間社会に戻って行った。

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帰宅してさっそく下処理を開始した。

ズッキーはその場で丁寧にその山菜の食べ方、下処理の仕方を教えてくれた。

さいころイタドリを醤油につけて酢の物みたく食べた話をしたら、ズッキー

「イタドリの酸味はシュウ酸なので、体内で石に変わる恐れがあります。」

「それと山菜はナマで食べないようにしてください。中に寄生虫の卵がある可能性もあります。」

すえっちに分けてもらった鹿肉は新鮮で、刺身にして食べた話も、ズッキー

「肝炎になりますよ。ナマでは食べないことです。」

Σ('◉⌓◉’)

ひょえー!知らなかったこととは言え…💦 登山でいう無謀な中高年じゃん。

もうカラダは野生動物じゃないんで、こちらが用心して合わすほかないようだ。

そんなこんなの大事なことを、そこかしこで聞くことができた。

 

 

あー早く始めないと 知識が脳からポロポロこぼれていく〜💦

マジック持参で正解だった。聞いた名前を新聞紙にザッと書いておいた。

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それを付箋に書きおこして洗浄した山菜を入れたタッパーに貼っていった。

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明日のテンプラ予定以外の山菜は茹でた。

ん?茹でたんだから食べられるじゃん。

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と、食べ較べ。

口の中に痺れを感じたのは気のせいなのか。。

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食後のフレッシュティー

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翌日の料理

サンショ葉のつくだ煮

ヨモギのあんころ餅

ツル系は天ぷらに

 

 

洗い方だってスーパーで買ってきた野菜のざっとした水に浸けただけ…とは違って

一枚一枚優しく指でこすって 目で確認していく。

茹でるのも、

茹でこぼすだけなのか、しばらく茹でて灰汁をよく抜くのか、山菜によって違っていた。

 

 

『山菜を取りに行く』のと『調理』はワンセットであり、『美味しく食べる』ようになるまでにも幾らかの関門があるように思った。

本来食べる事は奥深く、

収穫は英知と体力 調理は科学だ。

わたしの場合、これまでの主婦生活(家事の繰り返し)の蓄積があったから の、山菜採りでの気づきに繋がったのだ。

山菜採りも、自然(つまるところの地球)と どう付き合うかのじぶんの姿勢だったり、

どう生きるか、に繋がっていく。

そういうスタンスでとりくめば、登山も山菜採りも、道楽や趣味ではない。

地球と自分のガチの向かい合いだ。

そういうような行動をとっていかなければ だ。

 

このタイミングで知ることが出来て、経験できたことに感謝している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自粛休日の 我が家

全世界的に新型コロナウイルス感染予防対策の自粛生活で、

夫とやーくんの三人で過ごす5月となっています。

 

毎日昼食後、午後に出かけるようになって一時間から一時間半、歩くようになりました。

そして帰りに安曇野の湧水を汲んで帰宅する、というのが過ごし方になっています。

 

今日は天気予報も良いし、外で昼食を食べようということになりました。

お弁当を作って気持ちの良い外のベンチで食べたら良いね!と夫と話をして、

場所は昨日行って調子よく歩けたアルプス公園にしました。

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(これは昨日のやーくん。走る走る!)

 

 

ところがやーくんの様子がガラリと違います。

ことごとくに抵抗があり、

それが全力で、

いくら小柄とはいえ28歳男性ですから二人がかりでも うんともすんとも動きません。

もう公園で食べるのは諦め、ノアの車内で食べることにしました。

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食べることまでは拒否がなかったので、ホッとしました。

夫はハッチバックを開け、「広く出来てるなあ」と、感心しながらお弁当をひらいて食べました。

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(デザートもたくさん持って行ってたので、ご機嫌なおったのかも)

 

昼食後は気分も変わり、スタスタと歩くことができ、時には走り出していました。

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やーくんは、下りになるとスタスタ。。

おいおい、『帰りはこわい』だよ〜(笑)

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(登りを断固拒否のやーくん)

 

 

案の定、古民家の手前まで下っていたのです。

その後の二人の様子、汗かいてハアハア息が弾んでいます。

 

話しは変わりますが、日頃の登山の地図読み効果なのかな? 私の空間認識は、夫のそれより格段に良かったです。一般的な男女比では逆だと、よく言われますよね。

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夫は 昨日歩いたところの特徴などの記憶が残っていなかったり、

駐車場の方向を見失っていたりで、

『土地勘』という視点が、自分は良いのだと自信になりました。

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(本日の履歴 またストップボタンを忘れてしまいました💦 緑の丸地点Pがスタートゴール地点です。かなり歩きました!)

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対して 夫のすごい能力も発見しました。

電器店で衝動買いしてきたタンクを利用しようと始めた安曇野の湧水を汲んで、ご飯を炊いたりお茶に使ったりするようになっていて、

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ある日 その湧水に行かなかったので、自転車で松本の湧水を汲んでくる、と出かけたことがありました。

 

帰ってきて飲みながら、しきりに「うーん、違うわ。」とうなっています。

私はと言えば、松本の水道ですらそう悪くもないし、はっきり違いはわからないでいます。

安曇野と松本と、どう違うの?」と聞いてみたところ「松本のはすっぱい」と即答したんです。

えー そんなクセがあるの?

ビックリでした!

 

 

 

奥深きブッシュクラフト 〜焚火編〜

桜咲き誇る某日、ブッシュクラフト第三回焚火編に参加しました。

世はまさに感染症との戦いで右往左往、自主的自粛から いよいよ次の段階か…という頃。

屋外活動で三密もなく、自分の体調も良好という判断で参加しました。

 

『ブッシュクラフト』は、いわばいかに道具を持たず自然への畏敬の念を持って自然と同化していくか…そこには思想がある!と、講座を重ねるほどに感じます。

フィールドは同じでも、

煮炊きはガスバーナーで微調整が効き、イスもテーブルもあり、シャワーも。グランピングなどはベッドまである、、

不便なく 場所だけ外。。の、

昨今のアウトドアブームとは一線を画すものであります。

 

さて今回は焚き火とのこと、けれど会場は 木々に囲まれた、すぐ隣に獣よけのフェンスでそこから先は森林というシチュエーションです。

(ここで火を着けて大丈夫なのかな?)というのが、

わたしの第一印象でした。

それに水道もないようです。水はというと、すえっち先生が持参した10リットル程度のタンクのみです。消火はどうするんだろう。。

そういえば、持ち物の指定も特になかったが 火を扱うとなると手ぶくろも要るんじゃないのか…

今まで自分が火を扱った時の経験から、色々と気になることが出てきます。

 

いよいよすえっち先生のレクチャーが始まります。

 

すぐそばにスギ林があり、みんなでたき木拾いに行きました。

 

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杉の穂がよく燃えるというのは、わたしでも知っていました。

着火に穂、

次に鉛筆芯の細さの枝、

次が鉛筆大の枝、

最後が小指の太さの枝です。

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まずは、すえっち先生が説明しながら実演します。

四種類に分類します。

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その説明の中で一番目に響いた言葉が、火を『育てる』という表現でした。

 

今までの経験を思い返すと、バーベキューコンロとか金属などで火の範囲を あらかじめ枠を決めていましたけど、

火床が手のひら大だというのだけれど そんな小さな範囲で、

着火後 火を育てていくということが可能なのでしょうか?

そんな疑問を抱きつつ見守ります。

 

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手のひら大に穴を掘ります。

先を平たく削った『ディギングスティック』で

掘っていきます。

 

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☝️石か 太めの枝で、底に布団を作ります。

掘った土で壁を作ります。

 

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穂、

芯、

鉛筆、

小指大の順に組んでいきます。

今回は『さしかけ』という組み方での実技です。

 

いよいよ着火。今回は『マッチ一本で』との お題。

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おお!着いた♡

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燃えた!

パチパチ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

次は消火の実演です。

水も使わないとか。どうやって片付けるんだろう。。

 

まずは灰になるまで燃やし、燃え残りの木や炭を作らないとのことでした。

 

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(そのまま埋めるのか)と思いきや、

遺跡でも炭は出土品となるように、そのままでは自然には返らないとのこと。

すえっち先生はディギングスティックの太い方で、コンコンと灰を叩いて砕き始めました。

そうすると熱も下がってくるとの事。

 

塊がなくなった頃、その灰を触れて温度を確かめています。

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そのうち両手で灰を揉んでほぐしています。

手は真っ黒。(水道もないのに真っ黒のままで過ごすのかな💦)👈わたしの心の声

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すえっち先生は、灰を両方の手ですくい取り、

 

新緑の草原に向かって歩いていき、

 

フワッと

 

撒いたのです。。

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それはさながら

 

生まれた火の赤ちゃんを 順々の大きさの木で育て、

 

そして与えた糧を燃やし尽くして消えた火の命を

 

弔うかのように。

 

慈しむように。

 

ああ、わたしは密かに感動しました。。 その丁寧な撒きひろげ方。

『自然に還す』

まさにその言葉 そのものの行為でした。

 

もしわたしが死んだら、こうやって自然に返してもらいたく思います。

立派な墓標など要らないので、わたしの方が年上だしすえっち先生お願いします

そんなことにまで想いを馳せてしまいました。

 

さて、すえっち先生の両手は真っ黒。

だけどタンクのチョロチョロの少量の水で 綺麗になってしまったのです!

このことにも驚きと感動でした。

 

受講生の実技が済んだところで時間もちょうどよく、その後はそれぞれの調理をして昼食になりました。

仕立て方もそれぞれ。

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わたしの飯ごう炊さんは、

持参した棚が高すぎて、すえっち先生の豊かな経験からのアドバイスで形を変更、

なんとか美味しく炊けました。

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ちょっと火力不足な感はあったものの燃えている木に乗せてしまうことで解消。 加えて前夜といで給水のち水切りしておいたから芯も残らず炊けたので、

ここでも講座当初の教訓

『準備八割』

そのことの大事さを感じました。

 

食後は野草のレクチャーをいただき、及び腰だったわたしをしてカンゾウフキノトウをいただいて帰途につきました。

その夜の夕食は、春の薫豊かな献立になりました。

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カンゾウの酢みそ和え 生揚げのフキ味噌田楽 ポークソテーフキ味噌ソース お昼の炊き込みご飯の残り)

 

とても学びの多い充実した1日でした!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファイト いっぱーつ!

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かねてより植え替えようと思いつつも手をつけられなかったハナミズキを、

抜きにかかった。

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ところがところが、相手は樹木。

女手で、

しかもきゃしゃなシャベル(長野ではスコップという)一本、

そう簡単ではなかった。。

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そもそも宅地用に重機で固めた粘土質の土に 無理やり植えたハナミズキ

一度も花をつけたことがないのを不憫に思っていたので救済しようと立ち上がったところが、

うんともすんとも動かない。

ハナミズキも生きるのに必死だったのだろう。上部にひげ根を広げ、

下部にはすごく太い根っこを広げていた。

 

そのうち土は砕かれてきたが、スコップを差し込んでも動かない=根っこがあり、

見えないなりに はさみを差し込んでジャキジャキきり、

ということを数回したところ ようやく抜くことが出来た。

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一時間くらいかかっただろうか。。

ぎっくり腰の病み上がりで、ひやひやしながら、

樹木に向かって(あんた、助けてあげようとしてんだから協力したらどうなの!)と

話しかけたり、

途中(いっそ このまま切り倒せば楽かも…)などと投げやりになりつつ

無残な根っこの切り口を見せながら移動、鉢に新しい土を入れて植え替えることが出来た。

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開拓開墾って、大変だっただろうな。。人力で、重機もなくて根っこを掘り起こすなんて。。

というようなことも頭をよぎったり、

 

外科手術後は、養生が必要だわ。。こんだけ痛めつけられるんだもの。

人間だってそうよ。

このハナミズキ

今年の花はダメでも、来年か再来年には咲いてくれるかな?

みたいな長期視点で考えてたり、

やっぱり土仕事って、神羅万象の縮図だなと思った。

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それもこれも新型コロナの影響だ。

本当なら今日は 唐松岳の頂上にいるはずだった。

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昨日は芽吹いた白樺の新葉におびただしい卵を発見、

歯ブラシで一枚一枚こすりつぶした。

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いつもなら強めのスプレーを吹き付けるくらいだった。

 

あれ?

 

なんだか丁寧に暮らしている気がする。。。

 

ハナミズキはもう一本あるが、

そちらの方が樹高も高く、

ユンボでもないと ちょっとムリ。

 

次は 葉があまり茂らなくなったアオダモ。根元から新枝がいっぱい伸びてきているので 更新しようと思う。

 

新型コロナが収まる頃には うちの内外、スッキリしてるかも!(笑)

『スカーレット』が終わった

この 

世の中の流れが変わったこの時期に、

連続テレビ小説『スカーレット』が終了した。

 

ひとりの女性の半生を描いていたのだが、

生まれ落ちた家族の中で懸命に生きて、

役割を果たそうとしていて、

両の親を見送って、

その中で自分のしたいことを可能なかたちで追及して、

そうやっているうちに一人になって孤独も引き受けて、

そして生きていく。。

生き方の変わり目の描き方がとても丁寧だった。

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たった15分のドラマなのに、言葉もなく動きもなく、間だけで語らせる、、そういう場面が印象にあり、そんなテレビドラマの描き方って新鮮だった。

 

(親に,自分のしたいこと希望を こんな風に伝えるんだ)

私は 親にすごまれたら、引いていたなあ。。

(ああ、好きな人と こんな話の組み立て方をするんだ)

八郎の話し方、受け答え方がいわゆるタイプで、キュンキュンしていた(笑)

登り窯を一回するだけでも経費がかかり、

それも失敗して改善点を見つけられて

もう一回登り窯をやりたくて 今は止めておこうという夫の意見と食い違ったところを無理を言ってやって また失敗、

息子のための貯金を解約してやりたいと言ってきたときなどは 私もちょっと狂気を感じてドキドキした。

実は私も描画で何とか仕事にできないか模索して、社会に打って出るにも先立つものはいるし、山の絵を描くにも山に行くお金はいるし、夫は山登り自体しないこともあり「山…」と話を持ち出すだけで、険悪な雰囲気を出してくるときもあった。

 

『スカーレット』では、その熱情に夫の八郎がついていけなくなって出て行き

別居後の何度目かの登り窯で、思う色が出たことで 主人公は女陶芸家と脚光を浴び、

その作品を手にした夫八郎が「きみこ、すごいな」と涙をこぼした場面など、

同じ陶芸家を目指していた者としては、一から教えた女に追い抜かれ、

自分を貫き 自分の境地を開拓した作品を作り上げた姿を見て、夫は陶芸からも離れ、、

もうこの二人は、夫婦としてはやっていけないんだ…というところも痛いほどわかった。

 

別居中、友人に肩を揺さぶられながら「目え覚まし! 頭下げて戻ってきてもらい!」と説得されていた時の返事。

「あのな、私がしたいことあるとき、お父ちゃんが居る時はお父ちゃんに許しをもらった。

結婚してからは八郎さんに許しをもらってやってた。

今は自由や。誰に許しをもらわなくても出来る」そう語る瞳はキラキラしていて、庭中に薪が山積みになっていた。

あ~~わかる!その自由、、私も脳裏をかすめた時ありました、実は。

けど、私は熟考した挙げ句、その修羅を手間をいとわない…と、引き受けた。夫を巻き込む覚悟をした。どんな反応が返ってこようとも伝える手間をいとわないと、心に誓った。

 

そのころだったんじゃないかな、ある日 うちに一本の電話がかかってきた。

それは何度かグループ展に参加をしていた時、出品した作品が気に入ったからと購入してくれた紳士からの電話だった。

「今はどうしていますか」

「松本に住むようになって登山を始めまして、その時の印象を作品に描いたりしています」

 

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ああ、そう……と、ため息のような声がきこえた。

 

この紳士は樹木や自然が好きで、購入してくれた作品もモミの大木を描いたものだった。

「でも最近は作品展もしてなくて、部屋でほこりをかぶっています」と苦笑して言うと、

 

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「それはいけない。それは作品に失礼だよ。

応援しているから。発表した時には知らせてください。こんな八十を過ぎたお爺さんでも応援していますから」

そんな会話をして電話を切ったのだが、むねが ざわざわが止まらず帰宅した夫にこんな電話がきた、と話しているうちに胸がいっぱいになって泣けてきた。

家庭人としての私には相性も感じて期待しているものの、きっと夫にとって妻は、絵を描いていなくとも山に登らなくても よかったのだろう。その本心が絵や山の話になるとつっけんどんになっていたのだろう。気の強い私が声を詰まらせ涙ぐんだことにビックリしていた。でも、夫がそのころから変わってきた。私の本気に気持ちが動いたのかな。と思おう。なのでうちは破局せずに 今は応援してくれている空気を感じて絵に取り組んでいる。その点は喜美子八郎と違ったところかな。

 

作品展をするのを躊躇していたのは、人脈を広げられなくて、観客動員の自信がないことがあった。 違うんだ! 作品は完成したら描いた人間の手を離れる。作品が、作品に魅かれる人とつながればいいんだ。そう思って動きかけていたところだった。新型コロナで、再び止まっているのだが。

 

妹も嫁ぎ、息子も進学で家を出て、ジャカジャカしていた暮らしが変わった。

 

広い家にひとりの生活となったあたりからの描写が本当に丁寧だった。

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息子の闘病という描き方になるとは思わなかった。

 

その場面を見るたび今東京で生活しているジョンくんの事が思い出されてならなかった。

 

 

息子のたけしが旅立ったあと 縁側で元夫の八郎に、

「わたしなあ、、

たけしに『お母ちゃんが生かしてやる』って

言うてしもうた。。

また私、やり過ぎたわ。

いかんなあ。。」と、

自分のいき過ぎを悔やんでいた。

 

わたしたち夫婦は 親として出来ることをしたつもりではいたけど、ジョンくんはどう感じていたのだろうと、私もうっすら逡巡していたところだった。そこも大事だったんじゃないのか。。と。

子どもは授かり物などというが、私は 天からの預かり物だと思っている。手から放れていくものだ。そこに今も揺るぎはないが、彼に 長い渡りに耐えられるだけの人生の翼を身につけさせてあげられたのだろうか。。と。

 

 

 

今朝、何回目かトライの電話で ジョンくんの声を聞けた。

「なに〜どしたの?」

から始まり、

 

「また電話するからねー」

「うん」

「要る物あったら言いなよお」

「うん」

 

それで良しとしよう。

 

まあほんとうに、

いろんな事を 考えさせられたドラマでした。