それがやーくんだ!!
二日連続で やーくんは就寝してから朝起こすまで寝られた。
夕べも なにも特筆することもなく寝る時間を迎えたのに・・・
一向に眠気が来ないやーくん。
深夜に一度、夫が寝るように促したそうだが 拒否!したので、
「あ、そう」と、
そのまま一階においてきたらしい。
ベッドにもおねしょしてなかったので、やっぱり寝てないんだ。。
(冷蔵庫から発見の、これで腹ごしらえしたな。。)
(ずいぶん増えておる)
「あ~あ、せっかくいい感じで睡眠リズムが整ってきたかと思ってたのになぁ」
とわたしがこぼしたら、夫
「それがやーくんだ!」とさけんだ。
今、養護学校や作業所 事業所では、個別支援計画を立てる。
短期目標 (数か月)
中期目標(数年)
長期目標 (人生設計)の
希望なども吸い上げ、半年ごとに振り返りをして達成したかとか これからの課題とかを話し合う。書類作成、押印。。(普段 昼あんどんでのんきな暮らしをしているかと思われがちですが、こういうこと地道に水面下でやってるんですよ!私は。。)
必要に応じて専門機関に相談するのだけど、結局今の日本では医療機関になる。
で、医療機関に相談すると、「睡眠障害」などという名前がついて、彼らの考える改善策は治療なので、睡眠薬とか睡眠導入剤とかいうことになる。
でも、薬って、飲む本人が必要に思って飲まないと 効果半減なんだよね。。
やーくんが必要と思っているだろうか。。
あんなに楽しそうに 深夜の一人時間を過ごしているのに。。
そこを夫も気づいていたことに、感動を覚えた。
きっちりした理系男子の夫、四十代の頃は やーくんジョンくんの行動を なかなか受け入れられなかった。
家事のしかたもきっちりしている。私が頼んでもないのに掃除を始め、習慣になってくると(しない)という選択が出来なくなって、テレビを見ている私にイライラしてきて一緒に作業をしろ的な脅迫感を圧しつけてきたこともあった。
今はそういうイライラもない。私がコーヒー飲んでても、「あ、お日様出てきた♡」とばかりに 布団干しに二階へ上がっていく。たぶん自分のいないところで何かをやっているんだろうくらいの許容範囲を持っているんだろう。
今では、今はやりの「名もなき家事」も自然な流れでする。
※名もなき家事=洗剤を詰め替えるとか、ティッシュを収納庫から持ってくるとか、いうことらしい。ストックがなくなっていたりすると、買って来てくれたりもする。
自分の特性はそのまま残しつつ、身近な存在の特性も認める、ここまで変化成長するんですよ、成人男子でも。30年の間、なんどかは三下り半を突き付け合うような修羅場もあったが、今お互いに快適な距離感で過ごせていると思う。やーくんも夫も私もジョンくんも。
そのあと、犬のスイくんのケージをのぞいていた夫。
「なんでおふとんにおしっこするの!もう!」とこぼしているので、私すかさず
「それがスイくんだ!」(笑)
なごやかな朝の風景だった。
サバイバル教室~ブッシュクラフトスピリッツに触れて~
友だちの末次さん(以降すえっち)が、ブッシュクラフトの講座を開いたのを知って
もう一年になるでしょうか。
日本はここのところアウトドアレジャーブームで、スポーツショップやホームセンターでもテント、折りたたみのイス、BBQコンロなどの売り場を 一年を通して見かけるようになりました。
だけど日本の屋外活動=自然に親しむ活動ってあくまで『趣味のジャンル』であり、もっと下世話な表現を使うと『道楽』という位置づけで、
だからすえっちの『サバイバル教室』に興味は持ったものの、
参加するまでに時間を費やしたのは、
『屋外』を『アソぶ』のに お金払ってっていう抵抗感があった…
っていうのが 正直な気持ちでした。
ただ、私は今 自然豊かな(はずの)長野県在住ですが、出かけるというともう子育て世代でないこともあり、車で走るとか商業施設でショッピングくらいなのです。あとは本格的な登山で、
その中間がない。
すえっちのサバイバル教室の会場は松本の里山だと聞き、『公園』と銘打ってない場の 所有者のある里山の利用の仕方、入り方、マナー、そんなところを知ることが出来たら、この閉塞感が薄まっていくような期待を持ち、また四回すべて会場が違うというのも魅力で、
今回申し込みました。
それともう一点、『サバイバル教室』という名前にも抵抗がありました。
迷彩服を着て武器を持ち枯野の中で敵とみなした相手を倒す、ゲーム画面を実物で行うやつ。サバイバルゲームって言いますよね。
『サバイバル=生き残る』ですか?
名前を聞いた第一印象は そちらよりでした(笑)。
なんというか、マニアックで浮かれた印象と、先に述べた道楽の印象と。。
そりゃ払拭するのに一年くらいかかりますわね(笑)。
すえっちの『サバイバル教室』は、『生きる力を身につける』教室です。
ところがところが、そこにも
しばらく抵抗がありました。(まだあるか!(笑) )
今さら火を起こしたりナイフ使えたりシェルターって…
日本のようなインフラ整った社会で生きていて
改めてアウトドアレジャーの場以外にそういうこと必要ないんじゃないの? (と、
ここはあえて そう文章におこさせていただいたんですが)
答えは否!でした。
すえっちの講座は、最初に自然を感じる時間を取ります。
日差し、
風、
音、
におい
一回目の二月には霜柱があった時期で、空気がピリリとしていました。霜柱を手でつまんでみるとシャリンシャリンとキラキラ砕けていきました。
(冬枯れの二月)
二回目の三月、ひと月たつと光の種類が変わっていました。
強い風もずっと続くのではなく
風のまとまりが通り過ぎると風の谷があり、
遠くから樹木の枝のしなる音が 次の風の塊が近づいてきていることを知らせます。その風の中で 鳥がさえずっています。
(すえっちインストラクターの張ったタープシェルターはピンとしているので目立たないかもしれませんが、風をブンブンに受けています)
ほんの五分でもいろんな発見があり、人それぞれの感じ方を聞くことで また新しい発見があります。
UVカットされたガラス越しの、
もしくはテレビやスマホ画面に映し出された絶景画像だけでは 日々の暮らしは自然と分断され、
五感を総動員して自然を味わうことを 忘れていた気がしました。
だって日本の『アウトドア』って、『外で』『何かをする』んでしょう。BBQとか。
『外=自然そのもの』を『味わう』『慈しむ』『大切に思う』っていう『文化』にまで至っていない気がします。だけど、みんな気がつき始めているんですよね。
外で過ごす心地よさは何だろうって。
十分に準備された講座で、改めて身をもって感じてみると、自然に対する意識が変わってくるように思います。そんなスタート地点に立てる講座でした。
すえっちの講座は まだまだ作業に入ったりしません。
逆さ富士の絵を描くすえっち。
水鏡にくっきりと富士山が映るということは、静的なバランスが取れている状態です。
『ベースライン』というそうです。
人間が自然に分け入っていった時というのは波紋を作り、湖面の逆さ富士が消えた状態なのだと。
それはベースラインが乱されたことを意味し、野生動物や昆虫は異変を感じるのだそうです。身を潜め鳴くのをやめる。
波紋をつくって侵入してきた人間が攻撃性のないことを見て 人間を受け入れたベースラインが出来上がりました。
さて、いよいよナイフを使ってのペグ作りです。
ペグに適した枝探しです。『ワイドアングルビジョン』で周囲に目を向けて見ていきます。
(選んできた木や持参したナイフを すえっち先生は否定しません。作業開始でうまくいかないタイミングを見て「これくらいの太さでやってみ」「このモーラナイフを使っていいよ」等のアドバイスを入れてくれます)
日頃の人間の暮らしの中では
相手の目を見る、
スマホパソコンの画面を凝視する、
これを『トンネルビジョン』といいます。
人間の視野は思う以上に広いです。視野全体に気を配って 探すものや動きにアンテナを張る ワイドアングルビジョンで過ごすだけでも日常から離れられますよ。
すえっちはナイフの使い方を丁寧にレクチャーしていきます。
そしてナイフワークには名称がついていて それらを効率よく学べるのがペグ作りだということでした。
(知りたい方は、ぜひサバイバル教室受講を!)
(借りたモーラナイフがあまりに使い心地が良くて、ついついピンピンに尖らせてしまいましたが、ペグをここまでする必要はありませんので、あしからず(笑) )
そんなこんなをしているうちに、ワーク終了
春の強風は吹き続けていましたが、深い釜だったので火をつけました。
さすがブッシュクラフト、火の粉が舞い上がることなく いったん着けた火が消えることもなかったです。BBQで火おこしに四苦八苦したり着火剤頼りの方!
あの着火の知識と妙を目の当たりにするだけでも 受講の価値ありです!
(着火前のこの組みかたがポイントね)
(灰が舞い上がることもなく)
いろいろ焼いて話を楽しんで、心地よい時間でした。
あー楽しかったし良い時間を過ごしました。一か月後の次回が楽しみです。
「今日は何してきたの?」と聞かれれば、
「うーんと、、ナイフでペグ作った」💦
てことになるんですが(笑)💦💦 学びも多く実の濃い時間を過ごせますよ。
ケア会議
今日は、新型コロナ騒動でも没らなかった、
やーくんに関わる方たちが集まっての
支援会議でした。
やーくん安定しているのもあり、短時間で終了〜
それにしてもこの冬は、
毎冬恒例なはずの
『インフルエンザの集団感染による施設閉鎖』が、
作業所でも 施設でも 、
一度もなかったですねー なんて話が出て、
新型コロナ対策の、
手洗い
うがい、
不要不急外出の手控え効果ですねー
などと、
笑うに笑えないような効果もあったようです。
水曜日 夕方の出来事
ミニチュアダックスフントのスイちゃんは、短毛種だが それでも伸びるところの毛は伸びるので、すっかりモサモサになってしまった。
数回利用したトリミングのお店は、午前はしていないのか4時以降に受けるようで やーくんのお迎えと重なってしまう。
最近はやーくんも落ち着いているし、
家を出る時スイちゃんをケージに入れてやーくんをお迎えに行き、
その足でスイちゃんをトリミングショップに送る、
と考え水曜日の夕方に予約を取った。
スイちゃんは、ケージを見ると興奮して乗り込むのだが、
車に乗せるとおろせ、と言ってるのか出たい、と言ってるのか
キュンキュンと鼻なきする。
それでも30分ほど乗っていただろうか。
トリミングショップに着いてベルを鳴らして店員さんを呼び、ケージのドアを開けた。
ところがスイちゃんが 顔は出したが出てこない。
いっそ怖がって奥に引きこむことはあるけど、
今日は 横になったまま顔だけケージからはみ出し、口からは白いあぶくを吹いている。
実はあぶくを吹いていることは過去2回ほどあり、一度は動物病院だったので看護師さんがす早く対応、「車に酔っちゃったかなー?」と、すぐに戻った。
ところがところが、今日はあとから後からあぶくが出てきて立つこともできない。
ケージの奥に大も小も失禁してあり
引っ張り出して抱いても、声をかけても目線も合わず、ヒクヒクしている。
トリマーさんの指摘で舌を見ると、ムラサキ色!
泡が出なくなったと思ったら聞いたことのないような声で、鳴いたり吠えたりし続ける。
トリマーさんの方がおののき、今日のトリミングはキャンセルして店を出た。
私は片手でやーくんの手を握り
片手でケージとスイちゃんをかかえていたので体勢を整えるため、
いったんスイちゃんを地面に置いた。
ところが、依然立てないのである。ぺらんと横たわってしまう。
すでに5分くらい経っていたと思う。
さすがにこのまま収まっても、何かあるのではないだろうか、、と心配になり、行きつけの動物病院へ直行した。
実は動物病院の普段の待ち時間の長さと、
やーくんが慣れない同じ場所に居られないこと、
今回は私が診察対応しないといけないこと、
今まで時間をとる事は やーくん不在の間に済ませてきていたので、こんな場面は未知の領域だったのだ。
やーくんは降りないと意思表示。じゅうじゅう言い聞かせ、チャイルドロックで車中に居てもらい、時々様子を見に行く事にした。
午後診療は午前ほど混雑しておらず、「3番目ですからすぐですよ」と看護師さんが言ってくれた。
ーーーーーーーーーーーー
実は一度、浮気してほかの動物病院を受診した事がある。
その時は下痢で、なかなか収束しなかったものの機嫌も良く、元気もあって、免疫力にあとひと押しの処方などを もらうつもりの受診だった。
若い獣医師は、私の話を聞いて直ぐ
「ではエコーで見てみましょう」とマシンにスイッチを入れたのだ。
え?!
視診も触診も聴診も なし?
ただの腸の不調でしょう?
「この黒いのがウンチですので、間もなく出てきます。形になってきていると思います。」
あぁ安心だ。
「ただ、膵炎だとするとやっかいで…云々」 ちょっとちょっと、腸だってば💦
そして診療明細には超音波検査の点数がしっかりと加算されていた。
財布の中の持ち合わせで間に合うか否か、支払いの時はドキドキした。
処方された薬は全て飲ませたが、、
最悪の想定は医師として必要ですよ、ゼロや100はありえないから。ただ、それがどれくらいの可能性を診察から感じたか、そのパーセンテージ(割合)を伝えて欲しいのだ。そうでなければ ただのデマゴーグになる。
やーくん幼少時にさんざん受診して、的を得ず不安解消されなかった苦い経験が、私を受診側として成長させたんだと思う。医療は 診てもらうという受け身ではなく、こちらが医療を選ぶ側なのだ。
その点、今回の 行きつけのおじさん先生は、どんな方面の質問にも丁寧に答えてくれるし、本人(おっと、犬そのもの)の観察も丁寧だ。
「特発性テンカンですね。特発性というのは、定期的に発症するのでなくきっかけで誘発されるということで、 今回だとケージに入る、出かけるということに緊張して発症したのでしょう。人間の場合MRI検査で脳に異常が見つかることもあります。けれど、犬の場合は画像に異常は出ません。遺伝だろうと言われています。」
その後も
治療としては緊張する場を減らすこと、通院やトリミングなどやむを得ない時の薬もあること、以前は服薬して効き始めるのに一週間かかっていたのだけど、新たに出た新薬は即効性を期待出来ること、
薬に副作用もないこと、
テンカン発作自体は起こしても問題はないが、5分以上続くと脳にダメージが起きると言われていること…
私の質問にも答えながらこのような納得のいく説明をしてくれた。
「ということで、頓用に薬を出しておきますか。」
今回直行したので、50%の支払いで済むペット保険の保険証も 持ち合わせてなかった。
それがなんと、薬処方も含めて1600円也! 人間並みでビックリ。
やーくんも以前は気に入らないと車内をグチャグチャにしたこともあるが、今回は仲良しのスイちゃんのことを心配していたのかもしれないな。じっと待っていてくれた。
ーーーーーーーーーーーー
そんな出来事を帰宅した夫に話した。
夫の、スイちゃんの溺愛ぶりは見ていて面白いくらいだ。
顔をくしゃくしゃに曇らせて聞いている。
夫には、あの発作のスイちゃんの姿は直視出来ないだろう。
だって、
「パパがそんなスイさんを見たら、救急車呼んじゃう!」だって。
ちょっと ちょっと。。(笑)
新しい出会い
ここのところ、会合など可能な限り出席しています。
今日は日頃お世話になっているCOCO さんの懇談会でした。
(春がテーマのお茶菓子をいただきました。こういう心遣いは心弾みますね)
塩尻にあり、いつもは国道から桟敷交差点を左折して行ってたのを、田川沿いにも行けるだろうと走ってみました。
ところがだんだん山に登り始め、インターチェンジも過ぎてしまいました。後続車もついていて引き返せず、東山山麓線に入ってしまったようです。
新しい理事長になってからCOCOさんに行くのは久しぶりです。
保護者の参加は少なく、自分は職員さんと会う方を目的にしていて あとは会場の雰囲気を感じに行こうというつもりだったので特に気にしませんでした。
今回の出席保護者はお子さんが41歳、20歳、そしてやーくんの28歳です。
それぞれに難しいことがあり、あんな感じで複数人に聞いてもらえるとメンバーの中にヒントを持っている場合もあり、良い時間を過ごせました。
終了して席を立った時、一人のお母さんが私に話しかけてきました。
やーくんが以前利用していた事業所で働いていたことがあるとおっしゃって、短期間ながらやーくんの支援に入ったことがあったとのこと。紙ふぶきをする とかの話を聞いているうちに思い出したとのことでした。
そのお母さんのお子さんは、大学に通ってプログラミングを学んでいるそうです。ただ、卒業後のことを考えると在宅勤務が理想なのだけど、自宅で居るのには国の定めたサービスが受けられず、だからといって一般的な作業は肉体的理由で難しく 今から悩んでいるそうです。
そうなんですよねー
制度との整合性と本人の相性、施設の許容性など、ハードルはいくつもあり、うちも今のような環境に落ち着くのに何年もかかりました。
そのお子さんが塩尻に戻ってきた時、私に出来ることがあったら…とも思ったけど資格もないしなぁ
それでも
いろいろな刺激と情報を得て、『ちょっと先』を考えるチカラになりました。
今まで関わってないところに出るのは気が引けていたのですけど、これからはアンテナを張って 一歩を踏み出して行こうと思っています。
土曜日の夜
今夜の献立はドライカレーで、ブロッコリーの芯をミラクルサイの目切りにしている最中 指を派手に切ってしまった。
料理はまだ序の口だし 血を混ぜ込むわけにもいかないので、完全に止血をするのに時間をとった。
そうしてサイの目になったブロッコリーの芯を入れたボウルをカウンターに置いた時 指が引っかかって流しにぶちまけてしまった。。
なんだかいつもと違う流れを感じていたら、休日の日没後にピンポンが鳴った。
日没にセールスも普通は来ないしなんだろ?と、モニターを見たら人影が映ってない。
「ピンポンダッシュか?」と口にしたものの私は料理の手を止めなかった。
夫がドアを開けに行ったが戻ってこない。
そしたら夫が「小さい女の子が来てるからみて」と、私につなぐ。
玄関に行くと、小さな女の子(年長から低学年)が、壁にへばりついてしゃくり上げていた。
しゃくり上げているから話していることは全てを聞き取れないし、重ねて夫も聞き取れたことを話す。それらを組み合わせた状況が
「お母さんがいなくなった」
「車もない」ということだ。
我が家はここに越してから、子ども絡みの付き合いもなく、生活時間も違うので、あいさつ程度のつきあいしかないから親の顔はなんとなくわかるけど、子どもは全くわからない。
まずはその子の家を確認するため「おうちに行こう」と歩き始めた。頼ってきた割に手を繋ごうとするとふりほどく。
玄関は開いていて車もなかった。奥に人はいないのかの確認にピンポンを押してみたが、ひと気はなかった。
家に着くと「いつの間にかお母さんが居なくなって車もなくなった〜」と、より激しく泣き続ける。
ここからは推測だが、昼寝したかゲームに夢中かで、外出に置いていかれたのだろう。(たぶん父親はかやの外。)
すでに日没後。誰も居ない自分ちの しんと静まり返った恐怖、心細さに耐えられず玄関灯のついていたうちにピンポンした…ってことか?
私がいるからか、安堵の気持ちからか、
でも知らないおばさんだし、でも人間のいる安心感もあり、
号泣へとエスカレート。
私からしたら遅れ気味の料理と
「じゃあうちにおいで」と言うと、それは拒否。
そうなるといつ戻ってくるかもわからないこの家の家族をこの状態で待つ?!
「お母さんが帰ってくるまで待ってなね」とドアを閉めるとその子も出てきて玄関の外で泣きじゃくる。改めてさそってもうちに来るのは嫌だと拒否。
んじゃ外で泣いてる方がかえって危ないから家の中に居な、、
というやりとりを数回繰り返し、私は家に戻った。
夫の方が気にしていて私が料理を再開した頃に「車戻ってきたわ」と報告してくれた。
成人不在で子どもだけにしている…
ということに、私にとっては理解の余地がない。
眠っていたら起こして、うちは親子3人、運命共同体だった。
他の国のことをここに出しても仕方がないのだけど、アメリカは 小学生以下(12歳)の子供だけにしておくと逮捕される。それくらいのおとなの配慮は必要な存在だと 私も思っている。
イギリス貴族社会が考えるような『子どもは小さな大人』ではない。貴族の家柄なら執事やメイドの存在がサポートしているはずだ。
大人のような経験値もない、冷静さも俯瞰も判断も、やはり子どもは『小さな大人』ではない。
もう何十年か経ったろうか、新幹線で母兄妹で旅行中、下車駅で荷物の取り出しに手間取り、先にホームで待っていた妹を残して
母と兄が乗ったままの新幹線が発車してしまった。
大人なら待っていられるだろう。
まだケータイなどない時代だった。
十代半ばなら駅員に伝えるとかしただろう。
その妹は行ってしまった新幹線を追って線路をたどり、歩いているところを後続車両にはねられた。
目覚めたら気がついたらお母さんがいなかった、車もなかった。じゃあ帰ってくるまで待ってよう とは判断しなかったということだ。
母親の(置いて行っても大丈夫だろう)はすでに根拠のない正常性バイアスなのだ。
ちなみにやーくん28歳現在、やーくんをひとりにしての外出はゴミステーションへのゴミ捨てか、よくよく言い聞かせてからの10分程度の犬の野々宮神社までのピストン散歩だけだ。車の運転は、この28年間で数えるほどしかない。
たぶん10本の指以下だと思う。だって出先で自分に何かあったら取り返しがつかない。意識があればやーくんのことを伝えもできようが、一刻を争っている救命中の人物が留守宅のことまで動いてくれるとも思えないし、意識がなくなったとしたら…
あぁゾッとする。
想定しすぎかもしれない。
でもありえないことでもない。
日ごろ登山やらスキーやら遊びほうけている印象大かもしれませんが、ミソは押さえてきたつもりです。そしてこれからも。
近所のその子どもへのメッセージがあるとすれば、
年長もしくは低学年で、日没後という不安にかられる時間帯に おいていかれてこわかったよね。
もしかしたら昼間はすでに、親だけが出かけてしまう時間を経験していたのかもね。
けどね、見知らぬお宅にピンポン出来て
見知らぬおばさんを拒絶する元気はあるんだ。
むしろきみはその心細さ恐怖に打ち勝つ強さを身につけた方がいいかもしれないよ。
年長もしくは低学年で(大丈夫だろう)と、置いていける親のもとに生まれてしまったんだ。これから親もとを独立するまで数えられないくらい放っとかれるのかもしれないからね。
実は年末、私の家事の不行き届きで大げんかになった。やーくんの紙ふぶきの紙の粉が棚の上とか積もっていた。会社でも大変な時期でそんなストレスからか怒りに任せて罵詈雑言を浴びせられた。
心配そうにソワソワしていた夫に「私はあんなことした事ないからね。家事は行き届かないけど」と、クギを指しておいた。
あの母親、泣いてる我が子を見てどんな態度とったかな。「ごめんね!心細かったね〜」とともに泣いて抱きしめたか。。
それとも「何泣いてんのよ!」と一暼したか。。
たぶん後者だろうな。
そこに時間をくいながら 拒否され 、夕飯時が大幅に遅れた我が家。ペコペコのやーくんが先に食べ始め まだ途中の料理もあったので夫のも出して、しばらく作っていた。
ようやくお皿を出し終え席に着くと、夫は手をつけず待っていてくれた。
我が家の成果は、夫のそんな優しさが改めて見えたところかな(笑)
念願の野麦峠を スノーシューで!
『みね』さんという工女さんの名前は覚えていました。
だけど本の詳細は 記憶に残ってないのです💦
同じ山本茂実著作の『喜作新道』は、この辺にはこういう内容って事まで覚えているのに。。。
みねさんと、背負ったお兄さんの像が峠のどこかにあり、
お爺さんになったお兄さんが、その像を見上げている写真の挿し絵を、うっすらと覚えています。
今回の『野麦峠スノーシューツアー』、家族の都合も合い、念願かなって参加することが出来ました!
飛騨と信州の交通の要衝は、
今でこそ安房トンネルが主となっていますが、通年利用可のトンネル開通は平成9年。
ちなみに安房峠を 車両通行が出来るようになったのでさえ昭和になってからで、今の『沢渡』は『地獄谷』という地名で人は住んでおらず、道はそこで終わっていました。100年にも満たないのです。
それまでの人の往来と物流は、開田高原経由か
『野麦峠』でした。
明治維新後の殖産興業で、岡谷での養蚕業の人手に飛騨の若い女性がかり出され、
彼女たちは 最短距離の野麦峠を越えて行ったのでした。
山本茂実さんは、生存していた当人たちに直接取材できた人でした。
本の内容的には覚えていないにもかかわらず、(映画の映像の記憶と ゴッチャになっているのかもしれません💦)
いくら優秀な工女で、稼ぎがしらでも いったん戦力外となれば二束三文の契約解除金をつかまされ追い出されるという、心凍えるような雇用の仕組みと、ギリギリのところで手を差しのべるのは血のつながりの兄であり、支えは故郷だったという、
多感な世代である十代の、『女』という性に生まれた自分に、
当時では答えの出ない重い問いを突きつけられた作品でした。
さて、松本市民になっても自主的に野麦峠に行かなかったのは、あの心情がいまだくすぶって楽しいレジャーやドライブの場と捉えにくかったからなのかもしれません。
今回いい機会をいただけ背中を押してもらえました。
私のスノーシューも奈川に救われたようなもので、去年のツアーまで埃をかぶっていましたから(笑)
ツアー自体は、和気あいあいと初めから参加者同士で話が弾み 明るい雰囲気で楽しめました。
ガイドの春男さんは、
植物の名前や特徴から、
敗戦後植林の施政によるカラマツ林、
東日本大震災をきっかけに 浮き彫りになった周波数の違いによる計画停電の解消を目指した発電事情にまつわる平成の送電線工事につながる歴史まで 本当に詳しく、
興味深いお話をしてくれました。
その中でも、言葉の中にポツリポツリと出てくる奈川の気候の厳しさ。
例えば 柿は色づく前に霜が降りるので実らない、とか 米は出来ない、などが印象に残りました。
(今回も 木のよい写真が撮れました!)
それでも便利がイコール人間の豊かさでもないなあと感じたのは、奈川に生きている人たちは生きる術を本当によく知っていて それを楽しんでいると、そして人のつながりがしなやかで確固としていると感じ、羨ましささえ感じたのです。
確かに厳しい土地柄と、国の施策や災害 歴史に翻弄されてきたとも言えるが、
見方を変えると常に日本の屋台骨となって存在しているのです。
いま現在 人の流れが変わってしまった…などと悲観することはない。変わらずいとなみを続けていくこと、その事が大事。と思いました。
今季雪が少なく笹や倒木が出ていてショートカットが出来ず峠まで 登りきりました。
あった、ありました。みねとお兄さんの像。
(飛騨を向いています)
(お兄さんでさえ当時21とか22とかの年齢だったと記憶しています)
うわぁ乗鞍岳が近い!
風がぬるい。
去年の奈川スノーシューツアーでは ➖26℃対応の極厚グローブがちょうどよかったのに、今回は なんとほとんど素手!
解散してから車を運転していて目に止まった木造のバス停を撮っていたら、その向こうの民家も趣のある木造家屋。
そしたら、以前行ったことのある松本市歴史の里という建物の博物館に 工女宿があったことを思い出したのです。
まだ時間に余裕があったので、帰りに寄りました。
川浦って言ったら、集合場所じゃん。
あそこに建ってたんだ。
資料スペースにも寄ってみた。
そうそう、テレビドラマ版だったか、三原順子も出てたのよ。
この本の表紙を見て思い出したのでした。
野麦峠、時間のある時のトレーニングにも良さそう! グリーンシーズンにはヘビロテで通うかもです。
いつもながら長文を読んでいただき、
ありがとうございました。