スキーSKY好きー
『ハナミズキ』の歌詞に、こんなフレーズがあります。
果てなき夢が ちゃんと終りますように
二十代の時の話ですが、
スキーの二級を目標に
打ち込んでいた時期があります。
先細りで途切れたんですよね。。
大学時代はまさにバブル、スキー全盛期。
リフト待ち1時間がフツー(笑)2時間過ぎてきて、そんな人気のゲレンデに来られたと悦に入り(笑)
テレビつければ海和俊宏の『サロモン SKY NOW』、
カルガリーオリンピックの19歳のアルベルト・トンバの滑りにしびれ、
伝説のスキー映画『私をスキーに連れてって』
こういう時代ですよ。
そんな狂想曲の序章は、車を持ってる先輩に連れて行かれた五竜とおみスキー場でした。
「下りもゴンドラ使えば良いよ」との先輩の言葉に従ってゴンドラへ。したら強風でゴンドラ運休になりましてね(笑)、
小学生時のスキー教室以来の私と スキー初めての同級生と、多分林道の迂回コースだったとは思いますが それすら雪まみれになって降りてきたんです。
その先輩のほっぽりぱなしの見守りが良かったのか(?)私とその同級生、それ以降ハマりました。
なにか証が欲しくなったんだと思います。
その後 二級を目標に打ち込みました。
それが大学を卒業して 徳島へ里帰り就職してのちだったものですから今の何倍も手数がかかっておりました。そんなことは苦にもせず。
格安大阪発のバスツアーを申し込んで
仕事後にフェリーで大阪に出るんです。
梅田から深夜バスで信州のスキー場へ行きました。
初めは大好きな八方尾根など白馬方面でしたけど、
お手頃価格だったこともありまして戸狩温泉や黒姫高原にして数を増やし、節約してましたね。
それでも、頑張っても年間滑走日数20日程度でした。
そんなでは バッヂテストに受かるはずもないのです。
仕事もあり、採用試験の受験勉強もありで、
スキー仲間も居なかったので お誘いや切磋琢磨があるわけでもなく
いつの間にか行かなくなっていました。
結婚が決まって相手が長野県民でもあり、
(また行けるかな)などとチラリと脳裏をかすめましたけど、別件の課題を抱えましてハネムーンベビーが、これまた生まれた直後から手がかかり、それどころじゃない状態は加速度を増し、スキーすることも絵を描くこともすっかり忘れていきました。そんな三十代四十代でした。
自分がスキーをしていたのを思い出したのは、五十過ぎての2016年の登山を始めて 冬山入門ツアーでスノーシューを履いての下山していた時でした。
(あれ?)が、
自分を振り返り始める最初だったのです。
夏山の緑の濃さや距離感は その場で感動していたのに、
雪山の異世界感を 目新しく感じなかったんですね。
それどころか(なんで雪の上を歩いてるの?)
そう思っている自分に気がつき、
(私、スキーしてたじゃん!)
と芋づる式に思い出してきたからでした。
その年はレンタルスキーで数回行きました。
ビギナータイプの、それもレディスのブーツや板では私のスピードやエッジングに対応不可能で、ターンしただけなのに半回転くらい回ってしまったり、バックルはすぐバチっと外れるしで、レンタルでは楽しめん!と、その年セットを購入しました。
(ちなみにですけど、今思うと柔らかかろうが使いこなせるのが上級者です! 私の二十代の頃のスキーイング = ぐわーっとエッジを立ててスピードコントロールギリギリの、クラッシュ上等!顔面流血茶飯事喧嘩スキーだったんです(笑)あぶねー)
幸いなことに五十過ぎての出会いでエキスパート級の方たちに恵まれ、それぞれにチョコチョコとくれるアドバイスで 喧嘩スキーから徐々にムダも凶暴さも削ぎ落とされ(笑)、みる間に二十代頃のレベルを超えたと思います。
登山でやーくんのショートステイの取り方もわかってきて、やーくん自体も安定してきて場所にも慣れ、施設も空いてさえいれば快く受けてくれるようになりました。
(自傷他害のある頃は、施設といえども対応難として多泊は受けてくれませんでしたから、全てにおいてのタイムリーだったようです)
今回あまりにピンポイントな日は取れなかったものの、ダメもとでスキー教室のお手伝いに手を上げたというわけです。
松澤校長の研修は 人に教える前提であり自分もそのように指導を受けてみると、
自分が楽しんだり上達するためのものとは全く、
まーったく真剣さが
全く(ひつこい!)異なるものでした。
瞬時に私の問題点を見抜き
「エッジはケーキにクリームを塗るように」
「ブーツの前にスネを当てて」
「スキー板のテールを回して」
「斜面の地面に対して垂直に立って」
等々、、
それだけでガラリと滑りが変わったのです!
そうか、これが『道楽』との差なのかと。
あ、でも変わっていくこの感じ、楽しい!
この楽しさ、小学生たちにも味わってもらいたい。
二十代と五十過ぎの違いってリスクに怯えるようになったことかと思います。
教える難しさを聞いて、事故後の大変さを聞いて。。。
一瞬ひるみました。
その分の真剣さは持って臨んだつもりです。
二十代、そんなこと考えず二級目指してましたからね。若いってそういう事だね。
けれど見上げた時に
私のシュプールをたどっている小学生たちのトレイン見たとき…
トリハダ立ちました。
『別の日の 小学生のトレイン』
下ってきて「楽しい!」と 表情を輝かせている様子に、
私のほうが「もう一本行く?」「行く行く!」「よっしゃーGO♡」って。
普段出さない大きな声、それだけでも何かから解放されていく感覚。
あ、でもあくまで私目線の新鮮な感想で、スキー学校からしたらダメダメ指導でオンブに抱っこのダメ出しandフォローたくさんいただきました💦
こんなチャンスを与えてくれたゆうじんさん、松澤校長、本当に感謝です。
来週もありますからね、頑張ります!
『ハナミズキ』の歌詞の、あの一節
〜夢が ちゃんと終りますように〜
先細りで途切れたあの夢、
二級、チャレンジしてみようかな。。
なーーーーんてね。