『風と共に去りぬ』から読み解いた 嫌われ人生の生き方
嫌われていると 感じる時がある。
近所付き合いが上手く出来ない。
もちろん挨拶はしている。だけど相手が後ろ向きでなにか作業などしていたら声をかけられない。
BS をつけっぱなしていたら『風と共に去りぬ』が始まってしまい、ストーリーがわかっているにもかかわらずエンドが見たくて最後まで見てしまった。
ところが若い頃に見たときとは 全く印象が違う物語だった。
スカーレット・オハラは
若い時には愛する相手への見栄や、貧困からの脱出に そのたび結婚を選択し、そのたび女性やコミュニティーからの反感をかう。
ひとつはその事の強さ。
私も、私が揺らがなくていいんだ と、思うようになってきた。
そんなみんなに親しくなれなくても。
近所付き合いが上手くできなくても。
もうひとつは、土地への愛着。
娘を亡くして
レットを失って、
故郷のタラに帰ったって 何になるの?と、20代の私は思った。
けれど違う! 50代半ばの私にはわかった。
私もやーくんの行動障害やら地域やら福祉やらどんづまった時、長野で居ては解決策など見つけられない「徳島へ帰ろう」と思った。当時歩ける体なんかなかったけど 歩き遍路をした。
言葉の答えは見つからなかったけど、長野で再び歩き出せる力を得た。(そしたら新しい出会いもあり、事態が好転してきた)
常にスカーレットの味方となって 人間関係の通訳的な役割だった メアリーも亡くなってしまった。
あの後のストーリーがあるならば レットとは修復出来ないとみた。
けれど、生きていっただろう。
失意を抱えようが 愛がなかろうが 嫌われていようが 気丈に。
私も無いものたくさんある。五十にもなって...って言われるようなことまで。私を笑う人も相変わらずいる。
そのまんまで いい。笑う人も 笑わせておけばいい。
がんばろう。。