イマジン カンボジアレポート3
おびただしい観光客の隙間から
池に映る逆さアンコールワットの朝日を鑑賞する観光客
12世紀ごろの約千年前の石造りなので、いろんな履歴が残っています。
雨ざらしと紫外線の風化も激しいですが、戦争での破壊が際立っていると、ガイドさんが言っていました。
直近ではポルポト内戦。
1975年ごろですから自分も生まれていますし 最近のことです。
アンコールワットに続く道
かつては軍に占拠されて 近づく事すらできなかったとのこと。
アンコールワット 環壕越しに西塔門
塔門には銃弾の跡が
環壕、塔門越しの夕陽
銃撃戦のときも 同じような日差しがあったのかな
柱に銃痕
ズボンのめくれは黙認してね(笑)
地雷受害者が、主だった遺跡脇で演奏していました。
すごく遺跡に調和した音楽を奏でていました。
カンパしたら、日本の歌(チューリップの花)をエンドレスで演奏して 送ってくれたのでした(苦笑)
ベンメリア遺跡
ジャングルの中で発見された廃寺です。
『天空の城ラピュタ』のモデルとなったことで有名だそうです。うん、あの廃墟感。
賑やかで今なお華やかなアンコール遺跡群とは異質でした。
当初は地雷だらけ
ドイツによって取り除かれました。
遺跡近くで 樹木が少なく広場のようになっているところが 地雷除去作業したあとだそうです。
今は木道が作られていて観光客は安全に観光出来ますが、2007年まではよじ登って!回っていたそうです。ワイルド〜
って、つい最近じゃん!
修復と、
観光客と、
混然一体となっています。
世界遺産ということも あるからなのか、UNICEF経由で海外の国単位で 修復が行われています。それがカンボジアの国力の現実なのかもしれません。
キリングフィールド
シェムリアップ中心街とアンコール遺跡群との中間にある 鎮魂の寺院
数珠持参しました。バッグのフタが開きっぱなしなのは黙認してね(笑)
そこは ポルポト時代に カンボジア内にいくつかあった処刑場跡
後日 後方看板の英文翻訳しようと思っています。
(注 だいたいはわかるんですよ!(笑))
慰霊塔
ガイドブックには無料とありますが、入場料は 3$です。
アプサラダンス
伝統の宮廷の踊り
白いスカートがセンターの証♡
やっぱりセンターは 美人でスタイルGOOD!
ポルポト時代、踊り子の90%が処刑され、一度踊りが途絶えたそうです。
平和が戻ってから 生き残った者が記憶を頼りに伝承して蘇ったとのこと。
優雅でゆったりとした動きに、
品格と人体美が凝縮されていました。
カンボジアは、すでに内戦時代を知らない国民が70%となっているようです。
国自体に若々しさとエネルギーを感じた…ということは、内戦経験の高齢者(五十代より上)が少ないからなのでしょうね。実際わたしと同世代の 売り子さんや働いている人は見当たらなかった印象です。
自分に出来ること…渡航前から考えていました。
すでに日本人がお土産品を製作 販売などの経営していたり、
日本人が主のNGOなども運営していて、人身売買防止や女性の現金収入に結びつくよう活動しています。
が、
自身に鑑みて、自分に収入もないのに お金のかかる援助は出来ません。
けれどもこんな出来事がありました!
自宅に帰宅した夜のことです。
テレビに善光寺が映っていました。
夫「善光寺は 防災設備なんかをきちんと出来ているのかな?焼失した世界遺産があったよね。」
私「沖縄の首里城のことだね。」
夫「世界遺産は大事にしなくちゃいけないね。アンコールワットの迫力をじかに感じてきたら そう思うよ。」
夫は、暴露してしまいますが(笑)今まで歴史や遺跡に全く興味もなく五十五まで生きてきたのが、本物を見たことで これだけの意識の変化と世界観が拡がったわけです。このやりとりをした時、本当に感動してしまいました。日々生活しながらカンボジアへ想いを向ける=自分は世界とつながっている と知る。
それだけでも今回の旅の意義があったなあと思っています。
長文を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!