カンボジアレポート
夫の勤続休暇にはじまった行き先探しで アンコール遺跡群への期待はあったが、その他にはあまり期待もしていませんでした。
それがそれが!
遺跡も素晴らしかったのですがそれ以上にカンボジアの国の生き方、そこから日本の生き方を考えている私がいました。
今回は遺跡は置いといて そちらのレポートです。
カンボジアには高い山がなく、メコンデルタ(メコン川の三角州)の広大な平野です。
訪れた12月は乾季で 吹く風も爽やかでした。
シェムリアップから1時間ほど車で行ったところにあるトンレサップ湖は、乾季でも対岸が見えない水平線で驚いたのですけど、雨季にその面積が倍になるという!のです。倍⁈
(トンレサップ湖)
乾季は水深1mほどで 水は濁った色でした。
それが雨季には水深10mまでなるそうで。。
1mから10m⁈
シェムリアップ郊外の住宅はほとんどが高床式になっています。思うにそこまで水が来るんですね。
で、道路沿いの川は 護岸なども人工的な工事は何も行われていません。
これは今回の日本のような大雨が降ったら氾濫するんじゃないだろうか…と浮かぶましたが。。
そうじゃないな…
もう水が来る前提で生きているんだ。
日本は
治水に力を入れ、『暴れ川』と呼ばれた河川も『暴れない』方向に整えました。それがインフラ整備の完成形として 日本人が目指していた方向です。『一年通して変わらぬ生活を送ることが良いことだ』と。私もそう思っているところがあります。
カンボジアは、
自然に逆らわずそこに人間が合わせている、そんな印象を受けました。
水が引いた乾季の大地で、半年の間に米を三毛作で作る、と 観光ガイドの若いお兄さんが教えてくれました。このお兄さんが長友佑都似のイケメンさんでした。(あーツーショット写真撮ればよかったな〜)
と思ってたらありました!夫撮影の 後ろ姿ながらツーショット写真
安定感優先ですごいガニ股💦手を繋いでくれてます。ムフ(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
(緑の平原が乾季の時の畑 雨季には一面トンレサップ湖に変わります)
雨季には釣りなどのレジャーで賑やかになるのだそうです。その為の、ヤシの葉で葺いたリゾート感タップリのあずま屋が並んでいたりしていました。
豊かになったから余暇をもうける ←そうじゃなくて、楽しむことは日常なんですよね。
同様に、
ヒマならハンモックで寝る ←仕事もないのに働こうとしている私には痛烈な光景でありました(苦笑)
トゥクトゥクで周回をお願いして、運転手のお兄さんは 私たちをおろしてすぐさま横になっていました。
(風を切って走るのが快適でした。音、匂い、砂ぼこりetc 車より まちや暮らしを感じられます。)
『ヒマな事』『昼寝の姿』 ←見られて恥ずかしい事ではない ←私事ですが、Senseでウトウト眠そうな姿を暴露されて、(恥ずかしい)と感じる私がいて、見た方もクスッと笑っていて。(要は後ろめたく感じる常識があるということを言いたかったので、心当たりのある方、気になさらずにいてください!)けどこの図式は日本のどこにでもありますでしょう?
商機は逃さない ←たたみかけるようにアピールするものの、相手のテリトリーというのか?間合いは保っていた印象も受けました。
テレビや 他の人のレポートで伝え聞くような強引さではなかったということは、やっぱり自分で体験して印象を持たなくちゃいけないなぁと改めました。
それと、ツアー内容ではないことでエキサイティングだったのが、交通事情でした。
(ち、近過ぎへんか⁈)
(アンコールトムの南大門 この世界遺産の千年前の門を 車からバイクから歩行者から象やらが通って行くのです!(O_O) )
信号がある交差点の方が少なく、
左折(左ハンドルなので左折が難易度高い)、
直進、
ハラハラして見てましたが そこのところは絶妙に鼻面を微直進させて相手を止まらせる。すごい!
(乗車中の車が 路地から左折中 ひゃーあたしムリ💦)
『松本走り』と、いまは悪評の象徴になってますけど、法整備の進む以前の暗黙の了解なんでしょうね。
これ以上車の台数が増えてきたら また法なりインフラ整備なり必要になってくるんでしょうけど、それとクラクションも相手への合図として使ってるようで、日本のような苛立ちを音にするのとまた違うニュアンスを感じました。
感じたのは、みんなが同じ感情の運転をしているという。
運転技術も同じくらいで。
もちろんこの状況で事故ったら 厄介でしょうけどね。
他の部分でもみんな横並びなんですよね。
高床式の住居でも、お金をかけられる家は 手すりに装飾があり、煉瓦造りだっり、
同じかたちの家でも壁がヤシの葉っぱで手すりもシンプルな棒であったり。
そんな違いのある家が隣り合っているし、どっちの家が飼ってるのか分からないニワトリやら犬やらも自由に行き来していて、「アンタんちの鳥がうるさい」とかも言わないんだろうし(笑)、
「隣の奥さん、昼寝してるわ」とかも言わなさそう(笑)
だけどどの家にも 日影にはハンモックがあって家入り口には祭壇があって。それも大小 彩色、それぞれの選択でOKと。
(祭壇屋さん 大小彩色もさまざま取り揃えてございます。
街で見かけた時は、夫と「あれはなんだろうね」「ポスト?」「表札?」いろいろ推測して それも楽しかったです。)
出来得る範囲で生きている、それで生きていける寛容さも感じました。
みんなが車を持ちたい(心はわかりませんけど)とも思ってなくて、バイクで積めるだけ積んで(人や荷物や)それで良いと。
なんか良いなあ
わたしがカンボジアで生まれてたら、自分のいろんな感覚と社会に感じる乖離(かいり)の距離も、今ほどない気がする(笑)
やっぱり旅は良いです!
自分と合う場所が世界の中にはある、と知るだけで心落ち着くというか。また戻ってもがんばろうって思えます。
『可愛い子には旅をさせろ』
とは、よく言ったものだ!しみじみ。。。