脳内持論『純粋美術』編
こんにちは、エガクです。
『美術の学校って絵を描く技術は教えるが、絵を世に広めるテクはなにも教えない。だから世界のアートで日本がひけをとっているのだ...』と言ったのは、村上隆。
すみません、著書を読んではなく、書評の超要約を目にして心ざわついた記憶が残っているのです。
村上隆がどうやってルイヴィトンに売り込んだか知らないし(本にかいてあったら失礼!)私は 当時の主流のヘタうまにも乗れず、バタバタバタバタとしている間に社会人やら家庭人やらの人生を歩んでいました。
野球で例えると、小学生で野球をはじめたら即大リーグを目指す訳じゃなく
高校野球、プロ野球、実業団、草野球、コーチ、野球を応援するウォッチャーとか、携わりかたってバラエティに富むのに
絵だけが美術館レベルのクリエイトを要求されなくてもいいではないか...とそんな想いもこめて、
家で 絵の具や絵筆がやーくんのターゲットとなり投げられたりということもあり、ペン エンピツに活路を見いだし『ペン画職人』と名乗りはじめました。
私が長らく作品を描かなかったのに 再開して
画材に手が慣れて 描けるようになったのは、
無意識で、
頭のなかで絵を描いていたことを続けていたように思います。
それがはっきりしてきたのが、
良い絵が描けた時って その前には紙には落としてないだけで、
頭のなかに完成作が浮かんでいるのです。
senseで、その場で居た人たちを描いた絵は、頭のなかの完成品を紙に現しただけです。
説明的にではなくあのとき感じた、あの場の雰囲気を写しとるには...
技術で描いていたら、床の質感、テーブルの質感、人物は似せなくては...そんな方向にいっただろう。
これか!
これが私の絵で今まで足りなかったところなんだ。
売り方じゃなかった、村上隆!
また、senseオーナーのすえっち氏も、この画境の変化を感じとったようだ。するどい...
ピカソは既に14歳程度で絵の技術は会得済み、その延長で青の時代を描くが 世の評価は低く、
『アビニヨンの女たち』へとシフトしていった、
あの気持ちに近いかも。
『絵=技術』だと考え もし、青の時代の画境を続けていたら、ピカソは世にでなかっただろうな。
などなど、ぐるぐると思いを巡らせた一日でした。
作品は 人の目にふれてなんぼなので、sense本棚にひっそりと置いてあります。