こんな仕事がしたかったんだ!未来予想図からの現在実現図
容赦ない指摘。絵って 意識してないことは絶対描けてないから。
言われた箇所の意識が薄かった...しまった!と感じながらはじめから書き直す。
私もこんなモチーフ配置、良いかも。。と思いながら描いて、見てもらう。
やーくんとの生活を継続しつつも、自分のスキルを生かしたい、仕事をしたいと42歳から一念発起。暗中模索して十数年。
『絵を描ける仕事』というと、
まず浮かぶのは
A, 教えること。
B, 依頼を受けてその意図を絵におこすこと。
C, 自分が描いた絵を そのまま購入してもらったり 利用してもらうこと。
このABC の中で
どれか出来ないかと右往左往してきたが、違うんだ!
『教え』たいんじゃなくて
『注文受けて描き』たいんじゃなくて、
『自由に描いた絵を売り』たいんじゃない。
わかりやすいかな…と、『ペン画職人』と名乗ってみたけど、ペン画に限定するつもりもなかった。
私の提示した絵に
足りない、物足りないことを指摘されて
また描いて
『依頼主と共に造り上げて』いきたかったんだ!
そこに
『やーくんがいて大変だから 無理のない範囲で』とかの制限もかからず、
遠慮も萎縮もなく、
腱鞘炎再発なども気にせず、
集中力のほとんどを制作に注ぎ込む。
やっと言語化できた。
こういう関係性を作りたかったんだ。
実現してるんだわ、『現在実現図』!
(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
あ~ 思い出した。
GYMZEROの『走る、歩く』もそうだった!
共に造り上げた。
まだあの頃は、何につまづいているのか自分でもわからず、早くまとめようと表現の逃げに走ったり、開き直ったり。
けど、つまるところ走ること歩くことの本質がわかってきたら描けてきた。
絵の技術じゃないところで(笑)
あの絵から、登ったりしたあと故障しなくなったもんな(笑)その効果はプライスレス
(これ、自分が提示した格安設定の 🔘円の仕事じゃないな)と感じはじめたとき、やっとプロの意識の仕事になってきた気がする。
仕事というと月◉万円とか 定期収入がゴールかとも仮定してたけど、それも違うかった。
お金が先じゃなくて、描いてる=完成度をあげていくうちに、これでお金をいただくことに負い目がなくなる=(それだけの物が出来た)という自信。
漫画だって、今思えば楽し苦あった!
体脂肪をコッテリ蓄えながら(笑)(➕3kg💦) 筋肉量が変わらなかったのが救い(笑)
ああ、かけがえのない関係、時間!これよ、これ。。。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
今回は、蝶の完成度 上がってます。(笑)
フォルムというか、模様の意味とか考えてたりして。
こうなると、描いた蝶の舞ってる姿、見てみたいです。(それ、取材費ですよね?(笑) )
実物を見てない分その逆の発想、人は 蝶の何をもってその蝶だと認識しているか?という課題を常に課して描きました。そのフォルムを だいぶ手が覚えてきました。
加えて切り絵が格段の上達(笑)私に緻密さが加わったら無敵になるかもよ(笑)
人生、どう転ぶか 歩んでみないとわからないみたいですね。
楽し苦いくわ〜これからも٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
『風と共に去りぬ』から読み解いた 嫌われ人生の生き方
嫌われていると 感じる時がある。
近所付き合いが上手く出来ない。
もちろん挨拶はしている。だけど相手が後ろ向きでなにか作業などしていたら声をかけられない。
BS をつけっぱなしていたら『風と共に去りぬ』が始まってしまい、ストーリーがわかっているにもかかわらずエンドが見たくて最後まで見てしまった。
ところが若い頃に見たときとは 全く印象が違う物語だった。
スカーレット・オハラは
若い時には愛する相手への見栄や、貧困からの脱出に そのたび結婚を選択し、そのたび女性やコミュニティーからの反感をかう。
ひとつはその事の強さ。
私も、私が揺らがなくていいんだ と、思うようになってきた。
そんなみんなに親しくなれなくても。
近所付き合いが上手くできなくても。
もうひとつは、土地への愛着。
娘を亡くして
レットを失って、
故郷のタラに帰ったって 何になるの?と、20代の私は思った。
けれど違う! 50代半ばの私にはわかった。
私もやーくんの行動障害やら地域やら福祉やらどんづまった時、長野で居ては解決策など見つけられない「徳島へ帰ろう」と思った。当時歩ける体なんかなかったけど 歩き遍路をした。
言葉の答えは見つからなかったけど、長野で再び歩き出せる力を得た。(そしたら新しい出会いもあり、事態が好転してきた)
常にスカーレットの味方となって 人間関係の通訳的な役割だった メアリーも亡くなってしまった。
あの後のストーリーがあるならば レットとは修復出来ないとみた。
けれど、生きていっただろう。
失意を抱えようが 愛がなかろうが 嫌われていようが 気丈に。
私も無いものたくさんある。五十にもなって...って言われるようなことまで。私を笑う人も相変わらずいる。
そのまんまで いい。笑う人も 笑わせておけばいい。
がんばろう。。
ペーパートラベル たのし♪
GW 最終日は
ジョンくんは東京へ戻って、
夫も仕事に出かけ、
やーくんスイちゃんと家で居る。
ふとBS を見ていたら、片道切符で日本を縦断する番組をしていた。
旅人は関口なんとかさん(笑) 関口宏の息子さんですよ。
今 日本の動向は『速い』『効率最優先』で、
新幹線が開通すると 在来線の使い勝手はわるくなり、
寝台列車や食堂車、ビュッフェ、
ついに社内販売まで切り捨ている。
けれど、あぁ そそられる!思い出した!!
車窓を、線路を 眺めながらの移動を。。
学生の時、飛行機は数えるほどしか使わなかった。
一度、小田原から大阪まで普通列車で帰ったことがあった。
静岡が長くて、帰宅ラッシュの混雑にも辟易したりした記憶があるが、
それも乗ったからこその体験だ。
またあるときの帰省時の
夕刻の新幹線で、
関ヶ原あたりのポツンと佇む民家の灯りが やけに郷愁を誘った。
いまだにあの風景が焼きついている。
目的地があって その間をはしょってしまうのでなく、移動が目的の旅。
良いな~ 良いな良いな~♪
(〃∇〃)
ーーーーーーーーー
稚内から出発した関口さんの乗る普通列車で、海越しに利尻富士が見えた。
不意に思い出した!!
以前BS の登山番組で利尻富士の端整さが記憶に残っている。そこで、
『海から利尻富士を眺め、そして利尻富士へ登る!』
というペーパートラベルすることにした。
引っ張り出してきたのは2014年版時刻表。
確か高校生のジョンくんに、「旅も良いよ」と買って渡した時刻表だ。
反抗期思春期真っ盛りだったジョンくん。
そんな母の提案など受け入れるはずもなく、この時刻表も使われることもなかった。
けれど
挟んであるふせんを見てみると、
その数年後
私が高野山へ行こうとペーパートラベルしたあとがある。
結局ショートステイの関係やら、、、
そこまで行ったら徳島に帰らない訳にもいかず、文字どおりペーパートラベルに終わった。
さて、利尻富士への妄想トラベル 出発〜♫
松本からFDA で札幌、
特急『スーパー宗谷』が稚内まで約五時間、稚内泊。あとの行程見ると、利尻で後泊するから札幌で泊まって観光しても良いね。
フェリーで利尻、利尻前泊。
登り始めて避難小屋泊。
翌日登頂!下山 で、また利尻泊。
帰りの計算してないけど、その日のうちに松本へ帰れるのかな?
早く帰りたいなら稚内から飛行機で東京(羽田)新宿からあずさ松本帰着だ。
4泊かあ~
私が4泊だと やーくんは6泊していただかないと不可能。
現状土日月の宿泊は受け付けてくれてない。
ショートステイの段階で頓挫した(苦笑)
往復割引も適応外だから 旅費も割高だろうな~💦
これは 実現はしそうにないね!(笑)
でも、ペーパートラベル楽しいわぁ ♪
ジョンくん 東京へ戻る。。。💧
GW 後半は、本当にお天気がよかったですね!
春先のお手入れしそびれたマイガーデン、
バーベキュー効果であちこち気になり、
花の色味も欲しくなり、
久しぶりに寄せ植えなどしてみたり
手つかずだったフロントに、花を植えたり
花を加えたり。
通常日程に戻りましたらまた大改造しますよ!
植物は生き物。
樹勢が極まって密になると まん中が枯れ込んできたり、ちょうど良いところでは留まらないんですよね。
(昨シーズンまで良い感じだった株立ちのアオダモ。新芽のでない株が目立ってきた。下から新しい株が育ってきているので切っても良いかも。。)
(運転席乗降位置に植えたグランドカバーのクリーピングタイム。やはり踏む場所は、生えなくなってきた。。)
そう思うと、植えたてじゃないのに良いバランスの植物は きっと人の手で コントロールされているんだなぁ...と、
改めてテクニックをもってる人は、すごいなぁと思いました。
ジョンくん、またね~♪
最近旅行が趣味になったジョンくん。このあと休暇があるとのこと、横須賀へ行くそうです。楽しんでおいでね~♪
ジョンくんが帰ってきた
GW後半に、ジョンくんが帰ってきた。
帰ってきてのリクエストはバーベキュー。よしよし、肉祭りね!
はい、道具の準備万端。
「お帰り~♪ ジョンくん!」
3時。 火おこしからゆったりと始める。
(顔を写すな、ということで(笑) )
穏やかな晴れの日に、ゆったりと火を囲み過ごしました。
やーくんは...?
見えるところに座っていたので
お互いに ストレスなし(笑)
お肉はケータリングで (笑)
日が暮れるまで外で過ごしていました。
時が経ったとき、まぶたに残っている光景になるかも...って 日でした。
上皇后陛下、皇后陛下にならいまして...!
時はゴールデンウィーク。
令和元年。
さんざんテレビで見るはめになった上皇后さま、皇后さまにあやかることに。
皇室の男子は 限られた世界しか知らず、
妻になる女性が窓となり あたらしい世界を知ることができた...と。
わたくしも
夫の世界の窓となるべく 策を講じましたのよオホホ (*^O^*)(笑)
夫の趣味は温泉の長湯。
湯船に入って温泉成分を体に付けたまま水分を乾かし再び浸かる...を繰り返すと良いのだとか。。
なるほどだから長風呂なのか。いつも私が待ち合い場所で待つことになるわけだ。
今日は日中やーくんは作業所で、昼食を一緒にとることになりました。
そして夫の方から「温泉でも行く?」
よっしゃー!! チャンス到来だ!
いつもの『湯ったり山ノ神』に行こうとしていたのですかさず
「それならお昼はお蕎麦を食べて、中房温泉に行かない?」
我が夫は 生まれも育ちも長野ながら、私よりも『長野を知らない』と言っても過言ではない。
なまじ景色の良いところに目が慣れてしまって、感動もおこらないようだ。
学校登山で八ヶ岳も登っているんですよ。
上高地も、
立山黒部アルペンルートも、
行ってもない。
どんなところかも知らない。
『危ないところには行かない』というモットーの超インドア人間ということで、そこを強制するつもりはない。
ただ、時に 私の山行を妨げるような フキゲンをぶつける事があるのは迷惑なので(笑)
無理のない範囲で知ってもらおうと。
蕎麦屋は かつてよく通った『富士尾山荘』へ。
地味な建物だからか観光客も少なく、
時間もよく、
天ぷらも揚げたてで
夫も 大盛り天蕎麦を平らげた。
中房林道線は、私はもう数十回通っているので運転すると申し出たが ハンドルは譲らず。ま、ゆっくり走行すれば問題ないだろう。
そして「この道は路線バスも通るし、学校登山の時は大型バスも来るんだよ」と
ドライバー魂を揺さぶってみる(笑)
いろんな話をした。
私が合戦尾根に行くときは この道を行くんだよ、とか、
冬はこの道を歩くんだよ、とか、
中房は宿泊すると、地熱で作ったローストビーフを食べられるんだよ!とか。
まだ登山を始める前 運転するのが趣味だった私は、やーくんと犬のスイちゃんを乗せて走ったことがあり、私の華麗なドライビングテクニックに やーくんは熟睡、スイちゃんはケージの中でゲロしていたことなども...
この話に一番反応していましたわ(笑)
「かわいそーー!」と。
そして中房到着。
温泉は お気に召すだろうか...
お風呂から出てきて合流したとき「お風呂どうだった?」ときくと、「まぁまぁ」だって(笑)
「洗い場が内にあればなあ」だって。 はいはい(笑)
帰りに 激混みの牧場🍦ソフトクリームを食べ、中年期夫婦の ゆるやかなワンディデートは終了いたしました。
その後談。
帰ってきてから「スベスベだ!」と
源泉かけ流しの威力に 感動しておりましたとさ。
ちなみに ここも安曇野市だからね。未知の世界を突破する窓になれたかな?
平成最後のドライブ
小雨の一日になった。
今日は平成最後の日。
記録を見てみたら、4月のGYMは今日だけだった!
週一には山を登るよう心がけていたので筋力は落ちてないと思うが、何せ可動域が狭くなった印象。インナーサイの1回目にはピキッ💥と引っ張られる痛みが走る。繰り返し動かすうちに伸びるようになってくる。
これはストレッチ不足ですね。
もう一点は、気持ち。
億劫に思う私を否定できない。
4月に二度発熱したこともあり、ゆったり過ごしているのが 大事をとっているのか 怠惰なのか、わからなくなってきたりもした。
今朝も GYMへ行こうと決めたのと同時に 汗をかくことを億劫にも思っていたりして。
午前はGYMでじっくり体を動かして、
午後は平成最後の御朱印をいただきに仁科神明宮へ行った。
雨で空気が洗われ 清々しい。
御神木の大杉が立派だ。
池田町の道の駅で、令和瓦煎餅 思わず買ってしまいました(笑)
その後、昼食を探したりして不用意に穂高の国道に入って失敗。。。ノロノロの渋滞...💧
ひとつ成果は『ワークマンプラス』を発見したことですね!まだ工事中だったけど、オープンしたら偵察に行こうっと(笑)