三人のお遍路
(舎心ガ嶽 目指して)
徳島三日目は、太龍寺への歩き遍路道。
しかも!
おんとし78歳の母と登りました。
『かも道』と呼ばれるルートで、出発地点には弘法大師さまがお泊まりになって その名がついたという、一宿寺があります。
実は父は方向音痴...運転中 母のアナログなナビで目的地に行けてるところもあり、
母は母で ひさびさの山登りに 行きたくてウズウズしており、
父を一人にして歩き組と合流出来るのか、
何処までの道の記憶が確実で 合致するのか
前夜にケンケンゴウゴウ!
三人でしゃべくり倒しました(笑)
Aの意見とBの現状とCの希望をミックスして
三人がみんな納得し、
誰も我慢したり無理したりすることのないDという結論を導き出せたのです。
話し始めたときは、
母は 意固地に自分が練った予定を通そうとするし、
父の記憶は曖昧で 内心任せられない印象もあり、
そして二人のコーディネートをすべき私は 距離感、かかる時間、土地勘 全くないので 地図と母の言うことをもとに判断しなければいけない…というハラハラな状態。
(舎心ガ嶽 修行姿の弘法大師が 断崖絶壁に座ってらっしゃいます)
ふと父が
「舎心ガ嶽のお大師さんを 美穂と見たい」と言うとヒートアップした母は
「あそこまで歩けるわけがない!」
私「ちょっと待て!なんで決めつける」...(^ ^;)
ちょっとした泥沼でした...
(舎心ガ嶽入り口 心が引き締まります)
何だかどんな結論へ 行き着くかわからない状態で
いろんなことを繰り返し話しているうちに、
父30代のころ(50年前ですね) おばあちゃん(父の母親)の遍路で運転手をして、おばあちゃんとその友だちを車に残し 里の遍路宿から道なき道を登って太龍寺まで納経したこと...を
思い出してきたのです!
昔は車道さえ なかったですからね。
そこからは しっかりしていたかつての父が戻ってきて、言うことも記憶も土地勘も そのまま壮年期の父でした。
何だか身震いするような感動を覚えました。
太龍寺は現在 大きなロープウェイで上がれます。
お寺すぐの駐車場は うねうねのカーブを走行しなければならず、
今では利用する人は少ないです。
大きな遍路宿が建つ 里道の分岐さえ間違わなければ 行けるはず!
山門もひとつしかないので 待ち合わせ場所にすれば 行き違うこともないはず!
「どう?今説明した道わかる?」
「わかっとる。あの道は まちがえへん。」
そんなドラマティックな話し合いの末に実現した歩き遍路です。感慨もひとしおでした。
待ち合わせ場所で合流。
(舎心ガ嶽 お大師さまの背中 前方は断崖絶壁)
いつもは あっちが痛いこっちが痛いと訴える父が一切言わず、舎心ガ嶽まで 歩き通しました。
お天気もよくて お大師さまの麓で三人でお昼ごはんを食べました。
私は余力があったので、下りも歩きました。(下りでしたからね)
(下り途中にある石灰質の岩 。遺跡 もあり、石灰質の鉱石を採掘していたそう)
そこから鶴林寺は2㎞!行ってしまおう~!と登り始めたら えらい急登💦ぐだぐだでした(笑)
(江戸時代の無縁墓と急登)
思い出深い 遍路の一日になりました。