念願の野麦峠を スノーシューで!
『みね』さんという工女さんの名前は覚えていました。
だけど本の詳細は 記憶に残ってないのです💦
同じ山本茂実著作の『喜作新道』は、この辺にはこういう内容って事まで覚えているのに。。。
みねさんと、背負ったお兄さんの像が峠のどこかにあり、
お爺さんになったお兄さんが、その像を見上げている写真の挿し絵を、うっすらと覚えています。
今回の『野麦峠スノーシューツアー』、家族の都合も合い、念願かなって参加することが出来ました!
飛騨と信州の交通の要衝は、
今でこそ安房トンネルが主となっていますが、通年利用可のトンネル開通は平成9年。
ちなみに安房峠を 車両通行が出来るようになったのでさえ昭和になってからで、今の『沢渡』は『地獄谷』という地名で人は住んでおらず、道はそこで終わっていました。100年にも満たないのです。
それまでの人の往来と物流は、開田高原経由か
『野麦峠』でした。
明治維新後の殖産興業で、岡谷での養蚕業の人手に飛騨の若い女性がかり出され、
彼女たちは 最短距離の野麦峠を越えて行ったのでした。
山本茂実さんは、生存していた当人たちに直接取材できた人でした。
本の内容的には覚えていないにもかかわらず、(映画の映像の記憶と ゴッチャになっているのかもしれません💦)
いくら優秀な工女で、稼ぎがしらでも いったん戦力外となれば二束三文の契約解除金をつかまされ追い出されるという、心凍えるような雇用の仕組みと、ギリギリのところで手を差しのべるのは血のつながりの兄であり、支えは故郷だったという、
多感な世代である十代の、『女』という性に生まれた自分に、
当時では答えの出ない重い問いを突きつけられた作品でした。
さて、松本市民になっても自主的に野麦峠に行かなかったのは、あの心情がいまだくすぶって楽しいレジャーやドライブの場と捉えにくかったからなのかもしれません。
今回いい機会をいただけ背中を押してもらえました。
私のスノーシューも奈川に救われたようなもので、去年のツアーまで埃をかぶっていましたから(笑)
ツアー自体は、和気あいあいと初めから参加者同士で話が弾み 明るい雰囲気で楽しめました。
ガイドの春男さんは、
植物の名前や特徴から、
敗戦後植林の施政によるカラマツ林、
東日本大震災をきっかけに 浮き彫りになった周波数の違いによる計画停電の解消を目指した発電事情にまつわる平成の送電線工事につながる歴史まで 本当に詳しく、
興味深いお話をしてくれました。
その中でも、言葉の中にポツリポツリと出てくる奈川の気候の厳しさ。
例えば 柿は色づく前に霜が降りるので実らない、とか 米は出来ない、などが印象に残りました。
(今回も 木のよい写真が撮れました!)
それでも便利がイコール人間の豊かさでもないなあと感じたのは、奈川に生きている人たちは生きる術を本当によく知っていて それを楽しんでいると、そして人のつながりがしなやかで確固としていると感じ、羨ましささえ感じたのです。
確かに厳しい土地柄と、国の施策や災害 歴史に翻弄されてきたとも言えるが、
見方を変えると常に日本の屋台骨となって存在しているのです。
いま現在 人の流れが変わってしまった…などと悲観することはない。変わらずいとなみを続けていくこと、その事が大事。と思いました。
今季雪が少なく笹や倒木が出ていてショートカットが出来ず峠まで 登りきりました。
あった、ありました。みねとお兄さんの像。
(飛騨を向いています)
(お兄さんでさえ当時21とか22とかの年齢だったと記憶しています)
うわぁ乗鞍岳が近い!
風がぬるい。
去年の奈川スノーシューツアーでは ➖26℃対応の極厚グローブがちょうどよかったのに、今回は なんとほとんど素手!
解散してから車を運転していて目に止まった木造のバス停を撮っていたら、その向こうの民家も趣のある木造家屋。
そしたら、以前行ったことのある松本市歴史の里という建物の博物館に 工女宿があったことを思い出したのです。
まだ時間に余裕があったので、帰りに寄りました。
川浦って言ったら、集合場所じゃん。
あそこに建ってたんだ。
資料スペースにも寄ってみた。
そうそう、テレビドラマ版だったか、三原順子も出てたのよ。
この本の表紙を見て思い出したのでした。
野麦峠、時間のある時のトレーニングにも良さそう! グリーンシーズンにはヘビロテで通うかもです。
いつもながら長文を読んでいただき、
ありがとうございました。
八ヶ岳を味わい尽くそう
2年前くらいから気になっていたのです、アイスキャンディ。
と言っても、食べるキャンディじゃないですよ(笑)
八ヶ岳の山小屋 赤岳鉱泉が 足場を組んで人工的に作った、アイスクライミングの愛称です。
でも、トップロープと言って 下でロープを操作する相棒が必要なんです。
私には山友が居ないので、気にはなりつつも 行く機会がありませんでした。
『アイスクライミング初心者体験会』という募集も見つけたけど、
読んでみると全くの初心者未経験者とのこと。
3年ほど前に氷瀑体験済みなので、それにも あたらないし。。。
そして今年、ついに見つけたのです。『赤岳鉱泉アイスキャンディ道場』きゃー!
道具を持っていて経験していれば、レベルは問わないと。よっしゃー!
だが土曜日。宿泊者限定とのこと。。。
いつも土日のイベントは(特に宿泊は)諦めていたのだけれど…
あーでも今回は行きたい!
ショートステイは 以前書いたように、金土日の宿泊は 施設都合で使わないようにしており、
よし、おそれず夫に相談してみよう。
全面応援ではないにしても、了解を得ました。
日中はヘルパー支援を確保して休日出勤も行けるようにしたので、
夕食(献立買い出しからを含む)
パジャマの着替え、
就寝誘導、
翌朝の朝食、
午後からのヘルパー支援の荷物、そして送り出しと。
ま、いつも私がしていることなんですけどね(笑)
日曜日の昼には直帰で帰ってきますから。
『休日の美濃戸口駐車場はとんでもない』と耳にしたので、ここまで準備して 駐車場ではじかれてはたまらない、朝4時半出発。
真っ暗な諏訪湖サービスエリア。なんだか新鮮です。
美濃戸口到着〜
美濃戸口の八ヶ岳山荘にはバスで来た人たちなのかいっぱいでした。
そこから歩き始める人たちに紛れて私も出発しました。
今回、赤岳鉱泉までの行程で 決めたことは『一定のペースで歩く』『止まらない』です。
コースタイム3時間で、高低差もそんなにありませんので難しくないけど、ベースレイアーと サイズ感のタイトなミッドレイアーが密着しすぎていて汗だくになってしまいました。厳冬期の汗は命とり。ミッドレイアー、買う?
10時過ぎには小屋に到着、着いていたストーブに張り付いて背中と首を乾かしました。
ようやく我慢できるほどに乾き、トイレに席を立ったらストーブ消火されていてギリセーフでした。トイレの鏡を何気に見てギョッとしたのが 唇がむらさき色!鼻の頭を中心に肌色も悪く、まるで高地シェルパ(このたとえは大丈夫でしょうか。。。💦)
その後の話になりますが、毎週山に入って高地紫外線を浴びているはずの小俣ガイドの方が 、私より色白って どゆこと。。。(苦笑)
早めに小屋に入ったもう一つのお楽しみが、ランチ!
山でパスタが食べられる♡
パスタは三種類あり、今回はポモドーロを注文しました。選べるっていうのが良いですね♡
ほかにもカレー、牛丼、モツ煮等々ございます。
赤岳鉱泉さんの心意気を感じます。歩荷の血と汗の賜物で ここで食べられること、ありがたくいただきました。
さて、待ちに待ったアイスキャンディー道場、今回は8名です。
梶山ガイドが
「アイスクライミング1年目の人、手を上げて〜
2年目の人〜
3年目の人〜
それ以上の人〜
はいわかりました。会場まで移動しましょう」
えーー💦 いいんだろうか、、手を上げそびれた。 私2回目! 3年ぶりの2回目(汗)
それに参加者を見たら みんなマイダブルアイスアックス。(ピッケルを二本持ってるということ)
私は アイスアックスはレンタル可能ということで 持ってないし。
話が飛びますけど、
会長にしても 三ちゃんにしても、そして今回の梶山さん、小俣さん。
ガイドさんの物腰の柔らかさ、言葉の柔らかさ、
惚れてまうやろーー!(笑)
唯一激しい大声。それは「らーーく!」落氷です。
アイスキャンディーで高さ5メートルくらいですか?
それでまとまった塊が落ちてきた衝撃たるや!
これか。。このためなんですね。
褒めるのも上手、課題を指摘するのも上手、上級者にはさらなる高みへのアドバイス。
隠していても仕方ないので
「私、今日で2回目ですので…」と小声で打ち明けますと、
アックスの持ち方、小指の位置までスモールステップでご指南いただき、
その場ですぐ反映出来ないことには目をつぶり、
「肩の力を抜いて、リラーックス!」「柔らかくね〜柔らかく」
降りてきたら
「2回目にしては良かったですよ」と、肩をポン
惚れてまうやろーーー!(笑)
あぁ楽しかった♡
気がつきました。
アイスクライミングって、
今ZEROで取り組んでいる体幹、バランス感覚、
その究極のスポーツなのでは…と思いました。
筋力で登ろうとするとすぐダメになります。
道具に目がいきがちですが、
アックスで登るのでもありません。
脚なのです。
そして そのベースは体幹。
加えて そこに氷の声を聞く
ここに打ち込むと良いよ、ここはもろくなってる。一撃で崩れるよ、梶山さんには まるで氷の声が聞こえているようです。
同時に、どんなルート取りをしていくか、の 数歩先をイメージする目線。
瞬時に全てを判断していく総合力。
そして何より登り方♡
両手両足を広げたX型でなく、
膝も使い腰も入れ、ポジションが三角形だと次への動きもうまれてギャラリーからも感嘆のため息。カッコいいんです。
あぁーーシビれる!
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土曜日に宿泊って、初めてかも。
山小屋って、こんなに、こーんなに混んでるんですね!ビックリ。
チェックイン客は 夕食時まで止めどなく続きました。
談話室だったところにも布団が敷かれていました。
夕食は3回転!
(美味しかったぁ♡)
それを若い小屋番さんたちは それぞれの持ち場を粛々とこなしています。どこまでも丁寧な言葉づかいとものごしです。疲れた様子すら客には感じさせません。
夏の早月小屋でお世話になった田口さん、
(ごめん、カオナシに見えてきたわ(笑))
(痛恨!写真なし💦)
それと、
自分の引っ込み思案をのろったのが、まじおさんに声をかけられなかった〜〜 うわ〜ん
(´;Д;`)
でも写真は撮りました♡ 無断掲載ごめんなさい。次はお声をかけさせていただきます!
翌朝、
帰り支度の人はひとりもおらず 私だけ!
みんな登頂であったり氷瀑のアイスクライミングに出かけていきます。
今回1人で来たし、欲張っても良いことはない。
道場でご一緒させていただいた方が、声をかけてくれました。それは私が特徴的な格好をしていたので 覚えてくれてたみたいです。
「ネコちゃんですよね?」って(笑)
(11月の、アイスキャンディー骨組みの前で この時は耳もありました!(笑))
「これからどちらへ行かれるんですか?」
とたずねると、
「ジョウゴ沢へ向かいます。だけど混んでいたら、眺めるだけで終わっちゃいそうですけどね」
とのことでした。
一瞬その、ジョウゴ沢を眺めに行こうかな…と迷いましたが、、
直帰しました。
下りは得意なんですよね。
1時間半で美濃戸口、
たてしな自由農園で今夜のオカズにテンホウの冷凍餃子など3種類を買い、
茅野の舅姑のご機嫌伺いに寄り(安否確認とも言う〜)
(たてしな自由農園で買った餃子をおすそ分けしたら、おばあちゃんのお手製お漬物をいただきました。まるでわらしべ長者(笑))
松本の自宅に着いたのが10時40分でした。
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八ヶ岳で気になるキーワードがまた増えました。
今回は『ジョウゴ沢』!
『アイスキャンディー』だって2年越しだったし、
いつの日か権現岳登頂と、
いつの日かジョウゴ沢を眺めに 行きたいです。
そんでもって、
いつの日か、 ジョウゴ沢登りたいです!
(((o(*゚▽゚*)o)))♡
スキーSKY好きー
『ハナミズキ』の歌詞に、こんなフレーズがあります。
果てなき夢が ちゃんと終りますように
二十代の時の話ですが、
スキーの二級を目標に
打ち込んでいた時期があります。
先細りで途切れたんですよね。。
大学時代はまさにバブル、スキー全盛期。
リフト待ち1時間がフツー(笑)2時間過ぎてきて、そんな人気のゲレンデに来られたと悦に入り(笑)
テレビつければ海和俊宏の『サロモン SKY NOW』、
カルガリーオリンピックの19歳のアルベルト・トンバの滑りにしびれ、
伝説のスキー映画『私をスキーに連れてって』
こういう時代ですよ。
そんな狂想曲の序章は、車を持ってる先輩に連れて行かれた五竜とおみスキー場でした。
「下りもゴンドラ使えば良いよ」との先輩の言葉に従ってゴンドラへ。したら強風でゴンドラ運休になりましてね(笑)、
小学生時のスキー教室以来の私と スキー初めての同級生と、多分林道の迂回コースだったとは思いますが それすら雪まみれになって降りてきたんです。
その先輩のほっぽりぱなしの見守りが良かったのか(?)私とその同級生、それ以降ハマりました。
なにか証が欲しくなったんだと思います。
その後 二級を目標に打ち込みました。
それが大学を卒業して 徳島へ里帰り就職してのちだったものですから今の何倍も手数がかかっておりました。そんなことは苦にもせず。
格安大阪発のバスツアーを申し込んで
仕事後にフェリーで大阪に出るんです。
梅田から深夜バスで信州のスキー場へ行きました。
初めは大好きな八方尾根など白馬方面でしたけど、
お手頃価格だったこともありまして戸狩温泉や黒姫高原にして数を増やし、節約してましたね。
それでも、頑張っても年間滑走日数20日程度でした。
そんなでは バッヂテストに受かるはずもないのです。
仕事もあり、採用試験の受験勉強もありで、
スキー仲間も居なかったので お誘いや切磋琢磨があるわけでもなく
いつの間にか行かなくなっていました。
結婚が決まって相手が長野県民でもあり、
(また行けるかな)などとチラリと脳裏をかすめましたけど、別件の課題を抱えましてハネムーンベビーが、これまた生まれた直後から手がかかり、それどころじゃない状態は加速度を増し、スキーすることも絵を描くこともすっかり忘れていきました。そんな三十代四十代でした。
自分がスキーをしていたのを思い出したのは、五十過ぎての2016年の登山を始めて 冬山入門ツアーでスノーシューを履いての下山していた時でした。
(あれ?)が、
自分を振り返り始める最初だったのです。
夏山の緑の濃さや距離感は その場で感動していたのに、
雪山の異世界感を 目新しく感じなかったんですね。
それどころか(なんで雪の上を歩いてるの?)
そう思っている自分に気がつき、
(私、スキーしてたじゃん!)
と芋づる式に思い出してきたからでした。
その年はレンタルスキーで数回行きました。
ビギナータイプの、それもレディスのブーツや板では私のスピードやエッジングに対応不可能で、ターンしただけなのに半回転くらい回ってしまったり、バックルはすぐバチっと外れるしで、レンタルでは楽しめん!と、その年セットを購入しました。
(ちなみにですけど、今思うと柔らかかろうが使いこなせるのが上級者です! 私の二十代の頃のスキーイング = ぐわーっとエッジを立ててスピードコントロールギリギリの、クラッシュ上等!顔面流血茶飯事喧嘩スキーだったんです(笑)あぶねー)
幸いなことに五十過ぎての出会いでエキスパート級の方たちに恵まれ、それぞれにチョコチョコとくれるアドバイスで 喧嘩スキーから徐々にムダも凶暴さも削ぎ落とされ(笑)、みる間に二十代頃のレベルを超えたと思います。
登山でやーくんのショートステイの取り方もわかってきて、やーくん自体も安定してきて場所にも慣れ、施設も空いてさえいれば快く受けてくれるようになりました。
(自傷他害のある頃は、施設といえども対応難として多泊は受けてくれませんでしたから、全てにおいてのタイムリーだったようです)
今回あまりにピンポイントな日は取れなかったものの、ダメもとでスキー教室のお手伝いに手を上げたというわけです。
松澤校長の研修は 人に教える前提であり自分もそのように指導を受けてみると、
自分が楽しんだり上達するためのものとは全く、
まーったく真剣さが
全く(ひつこい!)異なるものでした。
瞬時に私の問題点を見抜き
「エッジはケーキにクリームを塗るように」
「ブーツの前にスネを当てて」
「スキー板のテールを回して」
「斜面の地面に対して垂直に立って」
等々、、
それだけでガラリと滑りが変わったのです!
そうか、これが『道楽』との差なのかと。
あ、でも変わっていくこの感じ、楽しい!
この楽しさ、小学生たちにも味わってもらいたい。
二十代と五十過ぎの違いってリスクに怯えるようになったことかと思います。
教える難しさを聞いて、事故後の大変さを聞いて。。。
一瞬ひるみました。
その分の真剣さは持って臨んだつもりです。
二十代、そんなこと考えず二級目指してましたからね。若いってそういう事だね。
けれど見上げた時に
私のシュプールをたどっている小学生たちのトレイン見たとき…
トリハダ立ちました。
『別の日の 小学生のトレイン』
下ってきて「楽しい!」と 表情を輝かせている様子に、
私のほうが「もう一本行く?」「行く行く!」「よっしゃーGO♡」って。
普段出さない大きな声、それだけでも何かから解放されていく感覚。
あ、でもあくまで私目線の新鮮な感想で、スキー学校からしたらダメダメ指導でオンブに抱っこのダメ出しandフォローたくさんいただきました💦
こんなチャンスを与えてくれたゆうじんさん、松澤校長、本当に感謝です。
来週もありますからね、頑張ります!
『ハナミズキ』の歌詞の、あの一節
〜夢が ちゃんと終りますように〜
先細りで途切れたあの夢、
二級、チャレンジしてみようかな。。
なーーーーんてね。
シンデレラフィット〜車中装備編
『シンデレラフィット』とは?
本来の用途ではない物が、必要に応じてピタリと当てはまる状態
とでも申しましょうか。
朝 フロントガラスに霜びっしりな日もあるので、冬場は車内にスクレイパーを搭載しています。
冬場の数ヶ月のことであるしと、
助手席にもたれかけさせていましたが、
荷物の持ち上げ時に引っかかったり
カーブでカタカタ当たったりして不便を感じるようになっていました。。
スクレイパーは、両端が平べったくなっているので 傘立てには立てられないのです。
そこで思い出したのが 病院の受付などで見かけるつえホルダーです!
あれだと途中を固定出来るから両端の形状は関係ないし、良いんですよね。
こういう時は、100均の出番です!
杖ホルダーなら介護エリアかと見てみたもののありません💧
100均のクルマコーナーもなかなかにかゆいところに手が届く品がありますが、今回はノーヒット。。
クルマの中は、貼ったり穴を開けたりは 出来るならやりたくないのです。その辺のヒントもあれば良いな〜と店内をきめ細かく回ってみました。
そして完成がこちら👇
マグネットで離着するタイプの
『カーテンタッセル』と、
形が硬めに止まるコードをまとめる
『結束バンド』
取り出しはこんな感じ☝️
車中での固定は、キャビネットの蓋にバンドを噛ませました。半開きになることもなく 良い具合に挟まってます。
マーケティング リサーチ エコキュート編
アンコールワットから帰って来て、
旅行の余韻に浸っている翌朝。
早朝 犬の散歩から帰ってきた夫が言う。
「エコキュートが変な音してるよ」
そういえば、旅行前から 入浴中に湯舟でウツラウツラしている時などモーター音がやけに聞こえていた。それでもまだ気になるほどではなかったので、その指摘を受けて思い出す『そういえば』程度だったけど。
タイヤのパンクを 膨らみの差異だけで見つけ出すというお手柄を上げたことのある理系男子の夫の言うこと、取説を取り出して0120で始まるお客さまセンターに電話した。
実はエコキュート、夏にも 漏水を見つけメーカーに修理を依頼したことがあり、
その時は0120のセンターに電話後間もなく1時間もしない間に 現場の担当者から折り返し電話がきて、すぐさま部品を交換していった迅速さに ひそかに感服したということもあり、1万円足らずの出張修理費も高く感じなかった。
その記憶があり 携帯の番号を教えていたが(出先で受けては悪いな)と思って 出かける気にもならず家にいたところが、年の瀬もあるとは思いつつも一向に連絡がなく 結局 日中無駄に過ごした苛立ちで再び0120にTEL。
チクリと刺しながら督促する。
最初の電話の時、
「どんな音ですか?」と尋ねられて
「カラカラ みたいな…」
「えぇ?そんな音?モーター音ではなくて?」(そのような音が範疇にないかのようなニュアンスで言われ)
そんなやりとりがあったと夫にこぼしたところ、
「音がしてる時 ぼくが『ママも外に行って聞いてごらん』と言ったのに、聞きに行かなかったからだ」
と、
多方面から とんだ とばっちり。
そしてこの一言で、夫も地雷を踏む。
「むーーー! 私が聴いたか聴かなかったかじゃないでしょ?
理系のあなたが違和感を感じたその音の特徴を言っといてくれればよかったんでしょうが。私に異音の種類まで聞き分けられるわけないでしょ!直接聴いてたって表現出来るか(怒)」
まくし立てる私の言葉に被り気味に「回転体がそのたび何かに当たる音」と、言い直しておりました。。(笑)
日中は すでに音がしなくなっており、
来た業者に「音しませんね」と、言われる可能性もある。それ また私が被るのか。。嗚呼…
非常に気分悪く居たところに業者来訪。
「ではとりあえず中を見てみますね」と言うので家に戻ったところ、すぐさま業者がドアを開けた。
蓋を開けてすぐ原因が判明したようだ。
目視ですぐわかり、音は直接の関係はなかったようだ。(なーんだ よぉ)
熱交換器からの水漏れで それはエコキュートの心臓部分であり、本体にハンダ付けしてあるので代替え機を置いて数日…となり、修理に13万円程かかると。
「えぇーー13万円⁈ 」
修理にしても その場で1万円くらいのつもりでいて、
フルムーンでの出費直後だっただけに
卒倒しそうになる。
『持つ者』の宿命である。
若い時はテレビ番組で豪邸など見ると「うわー良いわねえ」なんて思っていたのが、結婚後くらいからちっとも羨ましくなくなった。
月の電気代11万円でシャンデリアとネコ脚の家具が並ぶデヴィ夫人の家見ても、「自分で掃除しないんならね」
冷ややかなものだ。
あえて加えれば、そんな掃除しにくい家を掃除する者は、掃除することで給料貰える。
そして設置年数を考えたら、次々故障し始めることも考えられる、と。
お買い替えを 検討されても良いかも、、と。
その値段が まためまいがしそうな金額だった。カンボジアにビジネスクラスで ふたりで2回は行ける。。。
でももう待ったなしのように言う。いつ止まるかわからないと。
金額にクラクラしている場合ではなさそうだ。
建て売りだったので、ハウスメーカーにエコキュートの在庫があるかなど聞いたほうがいいですよと、オフレコのアドバイス。すぐさまハウスメーカーに電話すると、子会社の担当者というスーツ姿の人当たりの良さそうな男性が 夜間の間にうちまで来た。
そしたところ 先の業者が提示した定価価格よりも安い価格を告げられ、
「実はかねてよりお伺いしようと思っていた案件がありましてね…」と、
ソーラー売電事業が縮小し、もう二束三文のような金額に下落します、それで皆さまに蓄電池をお勧めしているのです、と。
うえーーーちょっと待ってよ、それになると百万単位じゃないの?
もう頭の中パニック。。。
もちろん一存では決められないのでと夫の番号を伝え、放心状態。
…………………
これじゃあ退職までに繰上げ返済完了など無理じゃないの?とか、
アンコールワットだってもう行けないわ、、とか、
思考の乱反射を起こしながら夫に電話した。
ところが
夫に時系列で話しながら こうも考えていた。
エコキュートだよね?
エコキュートって給湯器ってことだよね?
止まって困ることって、お湯が出なくなるって事だよね…と。
それも、夫も 私の話を聞きながら 同じことを考えていたのだ。
(私から言わせれば理系の)業者に急かされ、そりゃ業者の立場なら『いつ止まるかわからない』し、『年末年始を考えたらお早い決断』が必要なんだろうけど
お湯でしょ?
止まったら止まったで生活すれば良いじゃん
お風呂は温泉あるし、
台所のお皿洗いが辛ければ厚手のゴム手袋すれば良いんじゃないの?
あ、テムレズあるじゃん!
私の中で 何かのスイッチが入った(笑)
翌日さっそく いつも行っている山形村にある電機店に行ってエコキュートのことを言うと、見積もりにお伺いしますとのこと。現状を見ないことには見積もり金額も出せないのだそうだ。
前夜夫の書き出したメモを見た店員が、
え? 施工の住宅が松本市ではダメなのか?
疑問を持ったら聞きに行きたくなる性分、見積もり予約は取って
翌朝 市役所へ出向く。
担当部署で丁寧な説明と手順必要書類のことを聞く。
次は渚の電気店へ。
ここでも見積もり予約をもらい、
ここは山形村の電気店と同じ店名なのに違う店のようだ。互換性が全く感じられない。
山形村のはかつて違う店で数年前に吸収合併されたからなのかな。経済のことはよくわからない。
車のトヨタも、トヨタネッツとトヨタカローラと、その後につくナガノと信州で、全部違う会社なのだそうだ。
そんな大資本の都合は さわりだけわかれば良い。
(お湯でしょ?) あの気づきでずいぶん楽になった私は、数年ぶりの巨大なモールを観察する余裕があった。
なんだか造りがオサレなカフェがあったり 電気店なのに生活雑貨や消耗品があったり、家具屋のようなベッドルーム リビングルーム等の生活提案コーナーもあり、これはリサーチしがいがあるぞと。
おーっと、今日のところはエコキュートだ(笑)ガマンがまん。
出先から帰ったばかりの担当者が丁寧な説明をしてくれた。
かく言う私も 電気店三軒まわってそれぞれの説明を聞いて、
チラリと貼り出してある価格を見て
市役所にも行って聞いてきたので、
的を得た質問をしていることに気づく。
これこそマーケティング リサーチャーの本領発揮だ!
渚の電気店(二軒目)の見積もり日程候補で、実は 明日は、候補に上げずにいた。
ヤーくんのヘルパー予約していて、スキーの初滑りにでも…と考えていたので(笑)
仕方ない。でもタイミング的にドンピシャである。むしろ よく空けておいたな と、感動すらした。
本体価格、長期保証、安く抑えたいこちらの希望…その辺まで考えると三軒目の電気店が良さそうだ。希望の機種が営業所の在庫にあれば、無理やりの突貫工事でもなく 年内設置も無理な事ではないと言う。
二軒目の担当者は関西人で、気が合いとても良い人だとは思ったが、そこは生き馬の目を抜く市場主義経済。悪く思わないでくれたまえ。
そして、三軒目で衝撃的なことを知る。
持参していた取説を一瞥して
「今設置されているのは標準地仕様ですね。」
「ええーーー! この長野に? 寒冷地仕様じゃないの?」
思わずのけぞった。
二軒目の関西人おじさんが、
「例えば数日前の -2°cくらいが続くと 標準仕様ですと配管がやられたり、それだけで寿命は縮まりますからね。それに長野で標準仕様だと保証はつけられないですから。」って言ってたよ?
なにそれーっ
そりゃ寿命も短いわけだ。
建て売り住宅って そういうコストカットするんだ!
「うちがお勧めしているのはもちろん寒冷地仕様です」と、お兄さんニッコリ。
帰り、そのモールに旅行会社があり、パンフレットの中に『カンボジア』を見つけ、二冊持ち帰った。
早割り申し込みしたら、プライベートプールのあるプレミアムスイートルームに変更できるという。泳ぎ放題?
夫が帰宅したら言わなくちゃ♡
あ、エコキュートの後にね(爆笑)
最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。
マーケティング リサーチ消耗品編
歯磨き粉は、『必要ない』との歯科医もいるくらいで、
夫も 治療した後くらいから歯みがき指導を受けたとかで 使わなくなってきた。
ジョンくんが一緒に住んでる時、彼は 置いてある歯磨き粉が嫌だとマイ歯磨き粉を使っていた。
そんなもんで歯磨き粉がなかなか減らない。
わたしの場合も
かかりつけの医院で『特に使わなくても…』と言われた。
が、効果的に磨けていればいるほど 口臭がたつのが嫌で少量使っている。
この12月、なかなか減らない歯磨き粉がついに少量となって 絞り出しにくくなり、
買うことにした。
歯磨き粉コーナーなんて何年も立ってないから、行ってみてその種類に驚いた。
価格帯も200円前後からなんと600円、小数派は1000円超えのものもあり 幅が広い。
高価な品は、『加齢対策』的な物が多い。
加えて『歯周病対策』だとか『口臭対策』だとか『美白効果』だとか、それぞれのお悩みに側した成分含有されているようだ。
『なんとかグラン』とか、ネーミングも中高年ターゲットの物が多い。
目に留まったのがポンプ式。
減ってくると洗面台の立ち位置が定まらず、よく隅に落としてしまう。
その不便さは実感していたので、それが気になってきた。
ペーストに 効果は上記の理由で期待していないので、ミントだからいいや。
けれど群を抜いた700円台!うわーんどうしよう。。。
ということでひとコーナーに数十分、幾多の葛藤を経て 買ってきた。
さっそく磨いてみた。
ジェル状で出てくるので、今までのように量の加減が出来ないことが判明💦
口の中が泡だらけ(笑)
ペーストが出てくるところ、時々洗わないと こびりつきそう。。
そういう風に作ってあるのか、
はたまた感覚鈍麻してきたからなのか、
『(良い意味も悪い意味でも)爽やかさ』が、磨いた後そんなに後引かず 元に戻る。
でもま、収納面での杞憂、邪魔にならなくて良いかも。
趣味的にはボトルデザインにこだわって欲しい。限定ボトルとか見かけると、すぐ買い換えるタチなんで(笑)
数年後にデザイン進化して
お手ごろ価格になっていることを、
期待しておこう。
イマジン カンボジアレポート3
おびただしい観光客の隙間から
池に映る逆さアンコールワットの朝日を鑑賞する観光客
12世紀ごろの約千年前の石造りなので、いろんな履歴が残っています。
雨ざらしと紫外線の風化も激しいですが、戦争での破壊が際立っていると、ガイドさんが言っていました。
直近ではポルポト内戦。
1975年ごろですから自分も生まれていますし 最近のことです。
アンコールワットに続く道
かつては軍に占拠されて 近づく事すらできなかったとのこと。
アンコールワット 環壕越しに西塔門
塔門には銃弾の跡が
環壕、塔門越しの夕陽
銃撃戦のときも 同じような日差しがあったのかな
柱に銃痕
ズボンのめくれは黙認してね(笑)
地雷受害者が、主だった遺跡脇で演奏していました。
すごく遺跡に調和した音楽を奏でていました。
カンパしたら、日本の歌(チューリップの花)をエンドレスで演奏して 送ってくれたのでした(苦笑)
ベンメリア遺跡
ジャングルの中で発見された廃寺です。
『天空の城ラピュタ』のモデルとなったことで有名だそうです。うん、あの廃墟感。
賑やかで今なお華やかなアンコール遺跡群とは異質でした。
当初は地雷だらけ
ドイツによって取り除かれました。
遺跡近くで 樹木が少なく広場のようになっているところが 地雷除去作業したあとだそうです。
今は木道が作られていて観光客は安全に観光出来ますが、2007年まではよじ登って!回っていたそうです。ワイルド〜
って、つい最近じゃん!
修復と、
観光客と、
混然一体となっています。
世界遺産ということも あるからなのか、UNICEF経由で海外の国単位で 修復が行われています。それがカンボジアの国力の現実なのかもしれません。
キリングフィールド
シェムリアップ中心街とアンコール遺跡群との中間にある 鎮魂の寺院
数珠持参しました。バッグのフタが開きっぱなしなのは黙認してね(笑)
そこは ポルポト時代に カンボジア内にいくつかあった処刑場跡
後日 後方看板の英文翻訳しようと思っています。
(注 だいたいはわかるんですよ!(笑))
慰霊塔
ガイドブックには無料とありますが、入場料は 3$です。
アプサラダンス
伝統の宮廷の踊り
白いスカートがセンターの証♡
やっぱりセンターは 美人でスタイルGOOD!
ポルポト時代、踊り子の90%が処刑され、一度踊りが途絶えたそうです。
平和が戻ってから 生き残った者が記憶を頼りに伝承して蘇ったとのこと。
優雅でゆったりとした動きに、
品格と人体美が凝縮されていました。
カンボジアは、すでに内戦時代を知らない国民が70%となっているようです。
国自体に若々しさとエネルギーを感じた…ということは、内戦経験の高齢者(五十代より上)が少ないからなのでしょうね。実際わたしと同世代の 売り子さんや働いている人は見当たらなかった印象です。
自分に出来ること…渡航前から考えていました。
すでに日本人がお土産品を製作 販売などの経営していたり、
日本人が主のNGOなども運営していて、人身売買防止や女性の現金収入に結びつくよう活動しています。
が、
自身に鑑みて、自分に収入もないのに お金のかかる援助は出来ません。
けれどもこんな出来事がありました!
自宅に帰宅した夜のことです。
テレビに善光寺が映っていました。
夫「善光寺は 防災設備なんかをきちんと出来ているのかな?焼失した世界遺産があったよね。」
私「沖縄の首里城のことだね。」
夫「世界遺産は大事にしなくちゃいけないね。アンコールワットの迫力をじかに感じてきたら そう思うよ。」
夫は、暴露してしまいますが(笑)今まで歴史や遺跡に全く興味もなく五十五まで生きてきたのが、本物を見たことで これだけの意識の変化と世界観が拡がったわけです。このやりとりをした時、本当に感動してしまいました。日々生活しながらカンボジアへ想いを向ける=自分は世界とつながっている と知る。
それだけでも今回の旅の意義があったなあと思っています。
長文を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!